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5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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栄とし覚え書き(日記):215
列車内観光
2008年11月19日


* 写真は、揚州古籍書店で購入したレシートの一部です。今回の旅行も、中国の書籍で一杯になりそうです。




        4月11日 午後4時16分 蘇州駅着



アメリカ人と思われる十数名の団体ツアー客が、ドカドカと入ってくる。中高年のおじさんおばさんたちで、五月蝿いのなんのってありません。それに輪をかけて、真っ赤っかのスーツで身を固めた30前後の小姐がが「だまれ!」と言いたいくらい五月蝿い(^^)”


まぁ、添乗員という仕事がらしょうがないんでしょうがね…


右斜め前には、女の子が学校の宿題をやっていました。女の子の隣に座っているお母さんに、チョッと話を聞いてみると、この子は小学校の一年生だそうで、「勉強嫌いでね〜」と教えてくれました。


チョッと覗かせてもらうと、国語の穴埋め問題でしたが、私の中国語のレベルでは、半分できるかな〜? という内容でした。その他に、算数などの数枚のプリントが出されていました。小学校一年生ということを考えると、とても一時間で終わる内容では有りません。


日本の公立の小学校(私の住む三条市)では、あまり宿題を出さないところも有ると聞きます。意外なところで、日中の教育の「質」の違いを見てしまいました。


近年の中国の様子をチラチラと見ていますと、十年後くらいには日本人が中国人に使われる時代が来るかもしれませんね(^0^)


お母さんが、「韓国人?」と聞くので「日本人です」と答え、「日本の小学一年生は、こんなに勉強しないと思いますよ。」というと、かえって驚いていました。


話は前後しましたが、この親子は南京駅から乗って、あの五月蝿いツアー客と入れ違いに蘇州駅で降りていきました。毎週末は、家に帰るのだそうです。そういわれてみれば、今日は金曜日でした。



   そうこうしているうちに、午後5時23分 上海駅着



隣の男性と挨拶をして、ホームに降りると思わずブルッときました。気温が、けっこう下がっていました。



つづく


刻字用ノミ 印刀 栄としのみ製作所





ん〜 辛美味ラーメン!
2008年11月17日



* 写真は、NHKの中国列車一筆書きなんとか?という番組で、関口さんが食べていたラーメンです。



       4月11日 12時30分頃



ついに待ちに待った車内販売の小姐がやってきました(^^)他の方は,食堂車で作ったばかりの「包飯」(お弁当)を頼んだりしていました。私は、カートを指差して「それ一つ下さい。いくらですか?」というと、小姐は「5元(約80円)」と教えてくれました。早速、5元を支払うと後から来た別の小姐に、私の方を見ながら何か指示をしました。


紹興に行く時に,一回この様子を見ていましたので、「あぁ、お湯を入れて持ってきてくれるように指示したんだな」と1人で納得していました。すると数分後、カップ麺にお湯を入れて容器の縁に透明のフォークを突き刺して持ってきてくれました。


小姐は、「3分待って下さい」と言ってくれましたので、「お手数をおかけしました」と私が言うと、「なんでもありませんよ」とニコッと笑って颯爽と歩いていきました(^0^)


え〜っと、カップ麺の名前は「今麦郎 紅焼牛肉味」となっています。名前を忘れてしまったのですが、隣の男性が「それ,本当に辛いよ。私は、たべないですよ。」と、教えてくれました。


そこで、「実は、NHKの中国列車一筆書きなんとか?という番組をやっているのですが、ちょうど江南のあたりを通過する時に,関口さんが隣のおばさんからもらって食べていたんですよ。」というと、「関口宏ですか?」と聞きますので、「せがれさんで,智宏さんとかいうらしいですよ」と話しました。


この、国家体育総局訓練局運動員専用面とも書いてある「今麦郎 紅焼牛肉味」は、本当に美味しいのですが,辛いです。



皆さんも,中国へ旅行される機会が有りましたら,コンビニでも売っていますので是非,試食してみて下さい。




      4月11日 午後1時 食べ終わる



やっぱり,喉が渇きます。持参したペットボトルの水を汗を拭き拭き飲みました(^^)”



つづく

刃物を鍛えて160年
栄としノミ製作所 佐藤 亘




揚州とおわかれ
2008年11月15日




* 写真は、揚州駅から上海駅までの列車のチケットです。



       4月11日 11時55分 


上海行きの改札が始まりました。けっこう人がいっぱい並んでいます。上海と違って、多少割り込む人が多かった気がします(^^)”


いつものように、隊列を組んで? ホームまで歩いていきます。来る時は、夜でしたのであまりよく分かりませんでしたが、清潔感の有る爽やかなホームでした。


しかし、ホームに着きましたが、どこに居ればよいか分かりません。周りを見ると、駅員に聞いています。私も切符を見せながら「どの辺ですか?」と聞くと、手振りを交えながら「向こう」と教えてくれます。


これで、お分かりのように「○○の何号車はこの辺」という表示が何も無いのです(^0^)”


ですので、あとは「勘」だけがたよりです。まぁ、そう離れていない場所で良かったです。といっても、2両分ほど先まで歩きましたが… 無事、五号車の71番の窓側に座りました。



        やれやれ、とホッと一安心(^ー^)


列車が動いて数分後、背の高い男性が声をかけてきました。「そこは、私の場所だよ」と、あわててチケットを見せると、「あんたは、通路側だね」と、教えてくれました。私は、「どうもすみませんでした」と言って、場所を替わりました。


けっこう、ファッションセンスの有る方でした。男性は、「日本人ですか?」と日本語で話しかけてきました。私は、驚いて「そうです。しかし、日本語がお上手ですね!」と答えると、男性は「昭和63年に、東京のファッション関係の学校に留学したんですよ。」と、教えてくれました。


私自身、三条市で地元企業が受け入れている、中国人研修生の日本語を指導した経験が有りましたので、この男性は、ご本人の努力に加えて、良い日本語教師と出会われたのだと直感しました。


そこで、早速もう一度チケットを見せて、「どこで窓側と通路側が分かるんですか?」とお聞きしました。実は、紹興と上海それに揚州に来る時に乗った列車は、すべて日本と同じように「窓側に,窓側○○番、通路側○○番」と書いてあったのですが,今回乗った列車には、その表示がなく、「記号というか,マーク」が表示されてあるだけでした。


それで,空いているし、つい窓側だろうと自分で勝手に決めて座ったのでした。男性は、「細長い楕円の、記号というかマーク」
を指差しながら、「これが窓側」と教えてくれました。今度乗る時は,気をつけたいですね(^ー^)


そうこうしているうちに、定刻の12時20分に発車した列車は、かなりスピードに乗ってきました。時計を見ると12時30分を過ぎています。


早く,車内販売の小姐がこないかな〜 と待っていると、来ました来ました。

 
            何を頼んだかは…



つづく

ノミ 鉄筆 佐藤のみ


揚州駅
2008年11月12日


* 写真は、揚州駅の売店で買った新聞「旧聞」1元(約16円)です。


内容は、「三十年ほど前の雲南地方の知識青年たちの行動」や、「中国人民解放軍の1950年チベット解放」はたまた「袁世凱の巨額遺産の分配」等等、中国現代史に興味の有る方にはこたえられない内容かも知れませんね。私は、まだ全部読んでいませんけどね(^^)”



      4月11日 10時55分 揚州駅へ到着


おとといの夜、初めて見た揚州駅の風景に倍して広々とした景観が広がっています。新潟空港よりも大きいと思いますね! 


きっとこれから、な〜んにも無いこの駅前に、色々な建物が建設されていくのでしょう。


今回の揚州で、私が観光した地域は旧市街地にあたるようです。まだ、所々に昔の風情が残されています。この揚州も、私の感覚に合うようです。元気なうちに、何回か訪れてみたい町の1つとなりました(^0^)


さて、タクシー代23元(約370円)を払って2階の待合室に入りますと、できて何年もたっていないのかもしれませんが、凄く綺麗です。上海駅のように、人で混み合っている訳でもありませんし、清潔感の有る素晴らしい駅ですね。


写真の新聞を斜めに見ながら、ふと見るとナント「自動販売機」があるじゃ〜ないですか!ポケットを見たら、小銭が有りましたので試しに購入してみることにしました。



    ネスカフェの飲料の自動販売機でした(^0^)


オーッ、コーヒーがこういう場所で、しかも自動販売機で飲めるなんて(^^)


ネスカフェのブレンドコーヒーが2元(約30円)、オレンジジュースが1元(約16円)でしたので、早速1元硬貨を2枚入れて、ミルクと砂糖入りのボタンを押しました。すると、初めは誰もいなかったのですが、いつの間にか数人の若い男性が側にいて、私のやっていることを見ていたのです。


そして、私がうまそうに一口飲んだところで、私のマネをして2元を投入して同じミルクと砂糖入りのコーヒーを頼みました。ああ、そうか、中国の方はまだ自動販売機に慣れていないんだった。と思い、しばらくコーヒーを飲みながら見ていると、だんだん友人を呼び始めます。最初に、私のマネをした人が得意そうに「こうやるんだよ」とでも言っているのでしょうか、自慢げに話しています。


ニコニコしながら私が見ていると、私のマネをした人と目線が合いました。「おいしいね〜」と私が言うと、彼もニコニコしながらコーヒーを口に含みながら、軽くうなずきました。


自動販売機は有りますが、ゴミ箱が置いてありません。やっと探して紙カップを捨てて自分の場所に戻りました、


つづく


印刀 ノミ 切出し

佐藤栄登志ノミ製作所 佐藤 亘





疲れも有りましたのでとても美味しかったです。
再度古籍書店
2008年11月10日


* 写真は、揚州古籍書店で購入した書籍の一部です。


私の中国旅行の楽しみの1つに、本屋さんに行くことが有ります。新刊書は、全国どこでも同一価格ですしね(^^)”


最近では、日本の書籍を中国で発行してくれるようになりました。
例えば、川端康成の『雪国』等ですが、驚くべきことに超マニヤックな鈴木牧之の『北越雪譜』がありました。この北越雪譜』は、日本の方はおろか、地元新潟県の方でも知らない方の方が多いかもしれません(^^)” 


江戸時代の雪国新潟、言い換えると「魚沼産コシヒカリの産地」と申しても過言では有りません。色んなエピソードが有るのですが、「男性が、吹雪の中道に迷い洞穴に入って休もうとしたところ、そこには先客の熊がおりました。その熊は、大変優しくその男に右手を舐めさせてやり、温めてやりました。」大体こんな内容の、短い話が多いのですが、中国で翻訳されて出版されるとはね〜 中国人恐るべし(^0^)

雪国の生活に興味の有る方は、是非一読して下さい。現在でも売られています。




        9時 5分  揚州古籍書店着


10時くらいまで、店内の新刊書をみてまわりました。書道関係を中心に両手にいっぱい購入してしまいました。


レシートが行方不明ですので、いくら使ったか分かりません。


          10時15分 ホテル着


急いで荷造りをして、10時40分 チェックアウト、ヤージン100元を返してもらい、タクシーで揚州駅へ出発。



つづく


栄登志のみ 篆刻刀、ノミ 
佐藤 亘



金山様
2008年11月07日



* 写真は、十一月の声を聞くと床の間に飾る掛軸です。



     我家では、「金山様」と呼んでます(^^)



「鍛冶屋の神様だ」と先代から聞いていました。今では、鍛冶屋さんも大変少なくなりました。

私が、高校を卒業して鍛冶場に入った頃は、同業のノミ鍛冶だけでも30件弱いらっしゃいましたが、今では両手に足りません。

そんな訳ですので、五十を過ぎた私でも「若手」になっているようです。実際に私の下は、先代の弟子の田齋さんの倅がやっているくらいですね。


さびしいものです(_ _)






ちなみに、我家の金山様は十一月八日(土)ですが、私が不在ですので十一月九日(日)にしようと思います。



佐藤えいとしノミ製作所


佐藤 亘 拝


个園の斑竹
2008年11月03日



* 写真は、个園のチケットです。40元(約640円)は、高い様な安い様な気分ですね(^^)”



清代の文人、石涛(1630-1742)の庭園だったそうですが、チケットの簡易説明を読みますと「个園は、清代嘉慶年間の両淮塩商商総の黄至筠(1770‐1838)が、明代の寿芝園の旧址に建設した私園だそうです。主人の「竹が大好きな性格」から、園の芸術性が世に知られるようになり、北京の頤和園、承徳の避暑山荘、蘇州の拙政園とともに中国四大庭園に数えられている。…。」そうです。




       4月11日(金)7時30分 朝食


      いったん部屋に戻り、8時5分部屋を出る


        8時20分「个園」着 見学開始


それほど大きくない、こじんまりとした庭園ですね。やはり「竹の種類」が多いです。何百種類もあると言われる竹全部があるのではないかと思われるほどの種類の多さです(^0^)


  私は、「斑竹」を見つけた時はチョッと嬉しかったですね!


  以外と斑点が大きく、まさに美女の涙のようでした(^^)”


時間がないので、競歩の様な感じで見て歩きましたので、見学時間は「26分」でした。今思えば、もったいなかったですね〜



         8時46分 个園を出る



         歩いて、揚州古籍書店へ



つづく

五代 えいとし
佐藤 亘



 
運河
2008年11月01日



* 写真は、劉海粟の画賛の部分です(^ー^)




        4月11日(金)6時10分起床



今回の中国旅行最後の観光です。列車のチケットと時間を確認してから、見学時間は「10時」までと決め部屋を出る。


タクシーを捕まえに古運河沿いの通りに出ると、運良くすぐにタクシーを捕まえることができました。20代後半くらいの運転手さんで、「地図を見せながら、京杭運河を見たいんだけど、ここまでお願いします。そして終わったら、揚州賓館まで戻って下さい。」というと、「いいですよ」と気持ちよく出発してくれました。



私は、「揚州交通旅游図」という地図を見ながら外の景色を見ていると、「五台山」という大きな標識が出ています。んんっ? あれは、かの有名な仏教霊場の「五台山」か?と思いましたが、周囲には何もそれらしきものは有りません。たしか〜場所が違うよな〜と思いながら通り過ぎます。


それから、直ぐに運転手さんが「着いたよ」と教えてくれました。橋の名前は「江揚大橋」でした。車の通りも少ないので、いったん橋を渡り切り、反対側車線に移動してもらいました。江揚大橋のど真ん中に車を止めてもらい、下流方向を眺め、写真を撮りました。


隋の煬帝が造ったと言われる運河だけに、けっこう大きな舟も往来しています。ひょっとすると、後世に修復されているのかもしれませんね(^0^)


ジ〜〜〜〜ッと眺めていると、昨日見学した鑑真和上や日本の遣唐使等もこの流れを使って文化を伝え、文化を学びにきたのだと思うと、つい、涙がにじみ出ていました。手で拭い、車に乗り込みました。タバコで一服していた運転手さんは、「もういいの?」と聞くので「今日は時間がないから…」と言って、朝日に照らされ悠揚と流れる京杭運河を想いだしながら、ホテルまで戻ってもらいました。




         4月11日(金)6時50分 



     ホテル着、往復タクシー代28元(約450円)


     いったん部屋に戻り、朝食時間まで小休止(^^)




つづく

刃物を鍛えて160年
佐藤栄登志のみ製作所


劉海粟のカニ
2008年10月30日



* 写真は、今日ゲットした劉海粟の扇面のカニの画の部分です(^^)




       4月10日(木) 午後7時50分 


コンビニで買ってきたビールやゆで卵などを出し、今日ゲットした「劉海粟の扇面のカニの画」を取り出して鑑賞します。



河南美術出版社の『民国書法』より一部抜粋して訳しますと、「劉海粟(1896−1994)は、江蘇省常州の人。民国元年(1911)に上海美術専門学校の校長や上海市博物館董事を歴任。書では有名ではないが、その書法の造詣は非常に深く、金文、石鼓、行草…。」と紹介されています。


私の記憶違いでなければ、上海美術専門学校時代でしょうか、中国で初めて「裸婦のスケッチ」を取り入れた人で、当時の一大センセーショナルだったそうです(^ー^)



画賛の方は、七言絶句が二首書かれてあるようです。詩の内容からして、どうもこのカニは上海ガニかもしれませんね。落款に「丁卯八月(一九二七年旧暦八月)」とあります。30そこそこでこのレベルですからね〜、恐ろしや劉海粟!!



詩の内容は、まだ精読しておりませんので確定しませんが、「霜の便りはまだ来ないから、秋の空もまだ高くはない。…。詩人の孟東野のように、…空螯を嚼む。」とあります。おそらく初秋から中秋あたりの頃に、「旬の上海ガニが待ちきれずに、カニみその無い味気ないカニを食っているよ。」という思わず笑みがこぼれそうな詩ですね(^0^)


さて、「劉海粟の扇面のカニの画」に気分を良くした私は、風呂に入って汗と疲れを落としてから、明日の予定を決めることにしました(^^)



           午後8時40分 風呂


               9時


ビールを飲みながら、荷物の整理と明日の予定を決めました。


明日は、運河と个園、そして最後に時間があれば古籍書店に行くことにしました(^0^)



                        つづく


                    刻字用ノミ 印刀 鉄筆 

                          佐藤栄登志のみ製作所 



  
春夜醉歩
2008年10月27日



* 写真は、揚州文物商店で買った「劉海粟」のレシートです(^^)



      4月10日(木)7時25分 レストランを出る



ハッキリとは覚えていませんが、空には朧月が出ていたように…
ビールが効いてるせいか、まっすぐに歩けません。古運河沿いの歩道を落ちないようにして歩きました。この時は、李白ばりに古運河に映る月をお伴に鼻歌まじりに歩きます。これで漢詩の一首でも口から出てくれば大したもんですが、出てきたのは美空ひばりの「酒は涙かため息か」(題違ってたらごめんなさい)でした。


ホテルに帰る前に必ず寄るコンビニで、水2本にゆで卵2つ、中国版ポッキーと干しぶどう、それにビール2本を23.8元(約380円)で購入。


コンビニの店員さんは、三十前半くらいのお母さんっぽかったです。夜に行くといつもいるので、顔なじみではないですが中国人には珍しい優しい女性でした(^0^)


「飲んでるの?」と言われましたので、つい「はい」と日本語で答えてしまいました。店員さんはニコニコしながら「日本人ですね」といいます。「よくわかりましたね〜」というと、「「はい」って言いましたよ」と言われ、「あなたは頭がいいですね〜」と訳の分からんことを言って、おつりをもらって部屋に戻りました。


       まぁ、ただの酔っぱらいでしたね(^^)”


店員さんは、「ホテルはどこ?」と聞くので、「揚州賓館」というと、「気をつけてね」と手を振って送ってくれました。



       4月10日(木) 午後7時45分 部屋着



つづく


えいとしノミ製作所 

印刀 篆刻刀 鉄筆 刻字用ノミ

佐藤 亘


揚州炒飯
2008年10月26日
       

* 写真は、揚州炒飯を食べにいった「永和豆漿揚州店」のレシートです。今回は、レストラン系は全て明瞭会計になりましたね(^^)



      4月10日(木)6時40分まで部屋で小休止


痩西湖公園は、「観光で見学」というよりも「体力勝負の早歩きレース」でした。入場券を購入した場所で元小姐数人に言われたのですが、「無理!」「最低半日なきゃだめよ」と口を揃えて言われていたのです。

本当にそうでしたね、次回は揚州滞在を最低3日にしたいですね。そうでないと、ゆっくり古都の味わいを満喫することができません(^^) 


     と、ホテルのベッドに横になりながら反省しました。


6時40分、部屋を出て夕食場所を物色。ホテルから運河沿いに歩いて10分ほどのところに、明るい雰囲気のレストランが有りましたので入ることにしました。お店の名前を「永和豆漿揚州店」といいます。

このお店では、やはり炒飯を頼むことにしました。相当疲れていたので辛目の揚州炒飯12元(約190円)を頼みました。おまけにジャスミンビール5元(約80円)もたのみました。


けっこう冷えてる瓶ビールで、一口飲んだらよほど疲れていたのでしょう、酔いがグリグリ回るのが分かります。残りは、炒飯が来てから飲みながら食べることにしました。


           コトンと音がします


ふと見ると、揚州炒飯辛口版が湯気を立てて置いてあります。どれくらいなのでしょう、寝てしまっていました。さっきの一口のビールが体の疲れを一気に感じさせてくれました。


揚州炒飯辛口版は、けっこう辛かったですがとても美味しかったです。ビールとかわるがわる口に放り込みながら、寝たい気分に負けないように食べました。しかし、揚州炒飯辛口版は、量が多い!


           想像通りでした(_ _)


無理しないで、食えるところまでで辞めました。それでも半分以上は食べましたね(^0^)



つづく


刻字ノミ 印刀 大工ノミ

佐藤栄登志鑿製作所
佐藤 亘


あこがれの「二十四橋」
2008年10月23日



* 写真は、痩西湖のチケット90元(約1450円)です。


晩唐の詩人、杜牧の「揚州の韓綽判官に寄す」という七言絶句に詠われている橋です。一度は、見てみたいと思っていましたので、やっと念願が叶いました(^0^)


  NHKの「漢詩を読む 杜牧」を引用させていただきます。

 
「揚州の韓綽判官に寄す」杜牧

          いんいん    ちょうちょう
        青山 隠隠 として 水 迢迢 たり
                  しぼ
        秋尽きて 江南草木 凋む

        二十四橋 明月の夜
           いず    すいしょう
        玉人 何れの処にか 吹簫を教うる


ン〜、なんとも良いですな〜〜(^^)



         さて、3時55分ホテル出発


急ぎ、「痩西湖」のチケット売り場へ! と思いましたが、疲労のため足が進まず、やっとの思いで着いたのが


              4時45分


      係員に、5時半までだと言われ、慌てて中へ進入!


15分ほど歩いたら、出口でした。アレッ、二十四橋はどうしたの〜? と地図を確認すると、途中で一般道を通り抜けないとダメなようです。


急いで次の関所?を通り抜け、二十四橋まで早足で急ぎます。



          現在 5時 7分


        リミットまで、後23分!


だんだん観光客が少なくなってきますが、黙々と景色をチラチラ眺めつつ歩きます。



            5時 15分

     「閉門時間のお知らせ」の放送が数回入りました


      まだ、目的地の二十四橋は見えません(_ _)


            5時 20分


   案内標識に、どうもそれらしいのが見えてきました(^^)


汗をだらだらかいて一心不乱に歩きますと、こじんまりとした橋が見えてきました。



             そうです


            5時 35分



        ついに、二十四橋到着(^0^)


園内の職員が全員遊覧船で帰る中、私と老夫婦の三人で感慨深く眺める間もなく、「お〜い、門を閉めるぞ〜〜〜!」と係員が私たち三人に声をかけます。

老夫婦が手を上げて、「今行くよ〜」と返事をしてくれましたので、一緒に門外に出ました。


           5時 40分 


           退園、任務完了



次回は、もっと時間を取って悠然と遊覧船に乗って痩西湖を満喫したいものですね(^ー^)


超疲れましたので、タクシー7元(約110円)でホテルまで帰りました。



           6時 部屋着 小休止



つづく


鉄筆 鑿

佐藤栄登志のみ製作所



劉海粟の扇面
2008年10月19日


* 写真は、揚州文物商店で購入した「劉海粟の扇面」です(^0^)


ホテルの部屋に戻って、レートを確認すると「2500元は、約3万6900円」でした(^0^)


  

     4月10日(木) 午後1時45分 ホテル出発



中国銀行で3万円を両替(2028、7元)、この時チョッと円高になっておりました(^^)



お金を持って元小姐のところへ行って「はい、2500元」と言って渡してから、「残りを見せてもらえますか?」とお願いして残りのケースを見せてもらいました。


元小姐は、伝票を書きながら「掛軸は見ないの?」と聞いてきました。私は、「残念ですが、時間がないので…」と言いますと「いつまでいるの」と聞かれましたので、「明日の午前で上海に行きます。昨日の夜着いたので、まだ「二十四橋」も看ていないんですよ。」と言うと、「それじゃ〜、しょうがないわね」と言われました。


 
     猛スピードで全部看たら、もう3時になります。


オッと、やべ〜と思いながら、選別した作品の善し悪しを元小姐に尋ねますと、「選んだ作品は、みんな本物よ。」と言ってくれました。



「揚州文物商店の看板は、劉海粟の筆ですよね」と言うと、「劉海粟の元気な頃のもの」と教えてくれました。「しかし、劉海粟は「詩」もうまいですね〜。」というと、「何でもできた人よ」と教えてくれました。そして、「今まで、日本人で劉海粟の詩を褒めた人はいないわね。あなた、詩をやるの」といいました。「ほんの少しだけ」といいながら、蘭亭での詩を見せると「ん〜、いいわね」と褒めてくれました。(^^)”



元小姐とは、午前中に扇面を見ながら色々話をしていましたので、何でも教えてくれました。趙古泥や鄭孝胥に張大千、そして鄧散木などについても「真贋」を教えてもらいました。ついでに、購入した「劉海粟の扇面」についても聞くと、「これは、出来がいいわねお買い得よ。」と言ってくれました。さらに元小姐は、「劉海粟は、これから価値がでる人ね」とも言ってくれました。



「それじゃ〜、これから痩西湖に行ってきます。揚州に来たら、また寄りますから。」と言って、お別れをしました。




        
             3時 5分 


        中で繋がっている、隣の古籍書店へ


          ダッシュで店内を回り物色!


    小姐に「「佩文韻府」はありますか?」と聞くと



         「無い!」と冷たい一言(_ _)



まぁ、いつものことだ、しょうがないと思いながら、会計をすませホテルへ戦利品?を置きにいく。




    4月10日(木) 午後3時30分 ホテル着



                       つづく


                      佐藤栄としノミ製作所
                           佐藤 亘

       

       
揚州文物商店
2008年10月17日


* 写真は、揚州文物商店で買った「四君子の中古VCD」です(^^)


5年ほど前でしょうか、中国で書道のVCDを購入したのですが、パソコンのソフトの関係か結局見ることができませんでした。今回も、ダメかな〜と思いながら「ダメ元で買っていくか!」と意を決して、梅、蘭、竹、菊の四枚で100元(約1600円)。中古でしたので半額以下だったと思います。


一番まともそうなヤツをと、念入りに確認し購入しました。帰国して見ましたら、なんとか全部綺麗に見ることができました(^^)



 
        4月10日 午前11時20分



             揚州文物商店



早速、2階の方へ上がっていきますと、元小姐(四十代か?)が1人いました。お客は誰もいませんので、元小姐に「扇面だけ全部拝見しても宜しいですか?」とお願いすると、「韓国人か?」と聞かれましたので「いえ、日本人です」と答えると、「好きなだけ見てもいいわよ」と、鍵を全部開けてくれました。


全部で四ケースの展示スペース分を見るには、時間が足りないと思いましたので、もう直感で1つ1つ見ていきました。


元小姐は、鼻歌を歌いながら私が選別していくのを側で見ています。2ケースが終わった段階で、「劉海粟の扇面」と「張大千の画冊」が選別されていました。



        この段階で、12時45分


ここで、「劉海粟の扇面」と「張大千の画冊」の価格を確認しました。「劉海粟の扇面」は、3,000元(約4万8000円)で、「張大千の画冊(八枚)」で10,000元(約160,000円)でした。


元小姐に、「どちらか買うから、チョッと安くしてもらえませんか?」と聞くと、「劉海粟の扇面」は、2,500元(約4万円)で、「張大千の画冊(八枚)」は9,000元(14万4000円)までだといいます。


「張大千の画冊(八枚)」は、友人に1枚づつ分けてもいいな、と思ったのですが…


結局、「劉海粟の扇面」2,500元(約4万円)を購入することにしました。ところが、持ち合わせが足りません(^^)”



さっき、銀行で2万円分しか替えなかったのでした(_ _)



元小姐に、「お昼を食べてから、人民銀行でお金を替えてくるから、「劉海粟の扇面」を取っておいて下さい。」とお願いすると、「OK〜」と言ってくれました。


それで、隣のコンビニでコンビニ弁当と飲物を8元(約120円)で購入。疲れましたので、焼き肉弁当にしちゃいました。とっても美味かったです(^0^)



          4月10日(木) 午後1時


               ぐったり



            ホテルのベッドで小休止



つづく


                 篆刻刀 刻字用ノミなど

                 刃物を鍛えて160年 栄登志のみ製作所
                           佐藤 亘



「前田先生の日記」好評連載中(^^)
2008年10月15日


* 写真は、前田含秀先生の作品です。





今月から、「前田先生の日記」が開始されました。小所ホームページに掲載されています。進入経路は2つです。


1つは、トップページ中央の「西冷印社篆刻展優秀賞受賞」をクリックしていただいて、ズ〜〜ッと下まで下がって右側に『前田先生の日記』の場所が有りますので、クリックして下さい。


2つ目は、トップページ左側を見ながら、下に下がっていくと『前田先生の日記』の場所が有りますので、クリックして下さい。



最新版を以下に転載させていただきました。無断ですが…(_ _)



中国事情に明るい前田先生ですので、是非、色々とお尋ねになって見るのも楽しいと思います(^0^)



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◆「一刀入魂(私の篆刻道)」(その3)

 私は筑波大学芸術専門学群の第一期生です。

 草創期の筑波大学は、研究学園都市がまだまだ未整理で、生活の窓口は常磐線の土浦にありました。
 
 近年は、「つくばエクスプレス」が開通して便利になったようですが、当時は上野発の夜行列車〜〜♪とまではいかなかったけれど、都心から旅に出るような感じで、駅弁とお茶を買って出講した…とは、消えゆく教育大と生まれ来る筑波大を往復してくださった恩師が口々に話題にすることでした。

 私は、家が船橋だったので、寮には入れませんでした。当時の学生寮は、身体障害者、外国人が最優先で、その後、北海道から沖縄まで、筑波を中心にした同心円の遠い順に入寮が許され、最後に250人があぶれました。私はそのあぶれ組でした。

 あぶれたことを当時はちょっと残念がりもしましたが、人生全て「塞翁が馬」です。そのことが、私の次の出会いを生むことになりました! (続)
 

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 栄登志のみ 五代 
         佐藤 亘


揚州八怪記念館での出会い
2008年10月13日

* 写真左の小冊子は、「揚州八怪記念館」のお土産物売り場にいらっしゃった、「于林」さんに頂いたものです(^0^)


40ページほどの小さな本ですが、揚州の文人たちの意気を感じました。于林さんのお話では、自分たち文人仲間で作ったのだそうです。


揚州を愛していらっしゃるのですね(^ー^)




        10時35分 揚州八怪記念館


    文字通り、揚州八怪の作品が展示されています(^^)


揚州八怪は、王士慎(1686−1759)、李鱓(1686−1762)、金農(1687−1763)、黄慎(1687−1766)、高翔(1688−1754)、鄭燮(1693−1765)、李方膺(1697−1756)、羅聘(1733−1799)をいうそうです。大作から、小品までまで展示されていました。


展示は、そればかりではなく六角柱の石碑が展示されています。痛みが激しく、ガラスケースで全面を覆って保存されていました。

さて、奥の方に歩いていくと、金農が住んでいたことが有る場所として、「金農寄居室」が保存され展示されていました。中に入ってみると、こじんまりとした部屋で、チョッとだけ文人の気分に浸ってきました(^^)”


記念館のメイン会場には、現代の方の作品が展示されていました。


再度、揚州八怪の展示室に戻りゆっくりと拝見しました。台湾の団体さんは、こちらの方はお気に召さないのか誰もきませんでした。
最初に見たときもそうでしたが、2回目も私ともう1人か2人いただけでした(^0^)


最後にお土産物売り場に行くと、写真の小冊子「揚州圓林名勝楹聯」
というのが目に入りました。係員の青年男性に「これを1冊下さい、いくらですか?」と聞くと、「どこから来たの?」と反対に聞かれましたので「昨日、紹興の蘭亭節を終えてきたんだ。」というと、「日本人か?」と聞くので「そうだ」と答えると、「これはプレゼントだ」と、1冊印を押してくれました。


私はタダでは悪いので、「紙と筆はありますか、蘭亭節で作った詩を書きますから」というと、売り物の詩箋を取り出して、「これに書いてくれと」、筆ペンを差し出します。


          まぁ、これもよかろう


と、「曲水偶吟」を書きました。于林さんは、非常に喜んでくれて、「また是非揚州に来てくれ」と握手を求めてきました。


私も、「是非もう一度来たいですね」と言って分かれました(^^)


私が振り返ってみると、仲間の人数人に私の詩を見せていました。


     お金を替えに、ホテルの前の人民銀行へより



        4月10日 午前11時20分



           「揚州文物商店」着



つづく

                   印刀 刻字用ノミ 

                    佐藤えいとしノミ製作所
                               佐藤 亘


遥かなり隋の煬帝陵
2008年10月11日


* 写真右が、「揚州八怪記念館」のチケット25元(約400円)


この段階で、所持金が85、9元。これはまずい、ということで銀行で両替(^^)”






         4月10日(木) 午前9時45分


         隋の煬帝陵へ行くために大明寺を出発



        午前9時55分  平山堂バスターミナル



揚州賓館のフロントで聞いた、「隋の煬帝陵」への5路のバスは現在廃線というか、無いそうである。平山堂バスターミナルというより営業所(^^)” のメカニックがいうには、「タクシーで行くしかない」とのことである。



          そこで、所持金をチェックすると


                なんと


            ヤバイ! 111.9元


実は、今朝出掛けに揚州賓館のフロントで両替をしようと思ったのですが、「できません。前の中国銀行で替えて下さい。」と可愛らしい小姐に言われたのです。ホテルで両替できない場所は久しぶりでした(^ー^)


出発時間が9時前でしたので、当然「中国銀行」も空いてなかったのです。という訳で、両替ができなかったのです(^^)”


         話は戻って平山堂バス営業所です。


この近辺は、タクシーがほとんど通らないし、人も通らない場所なのです。営業所のメカニックに聞くと「タクシーで2〜30分はかかるらしい」のです。昨日の揚州駅からホテルまでの料金を考えると、往復のタクシー料金は大丈夫の様な気がしましたが、隋の煬帝陵の料金がいくらか分かりません。そこで、今回は残念ながら隋の煬帝陵は諦めることにしました(_ _)



それなら、揚州八怪記念館と个園を訪れることにしました。地図で路線を確認するると、「游1」に乗ると揚州賓館前の「史公祠」に着くので、バス停の前の中国人民銀行で両替をしようと決めました。


       午前10時5分  平山堂営業所発


10時25分 中国人民銀行着 行列のできる銀行でした(^0^)



当分かかりそうなので、「揚州八怪記念館」に先に行くことにしました。ぶらぶらゆっくり歩いて、10分弱で揚州八怪記念館に着きました。台湾系の団体客がドッといました。


 
      入場券、25元(約400円)で中に入りました。



つづく



                    鍛冶屋 

                    佐藤栄登志ノミ製作所
                           佐藤 亘



鑑真和上の大明寺
2008年10月08日



* 写真は、大明寺の入場券、45元(約720円)です。



日本にゆかりの有る「鑑真和上」は、私が中高校生の頃は写真入りで、歴史の教科書に大きく取り上げられていましたね。




        4月10日(木) 午前7時半 起床朝食


               8時準備  

             8時半 ホテル出発


出掛けに、ホテルのフロントで隋の煬帝陵への行き方を教えてもらいました。昨晩確認しておいた「史公祠」のバス停着。


8時45分 「游1w」のバスで「大明寺」へ、バス代は紹興と同じく1元(約16円)です。降車地の「平山堂停車場」着8時57分。


すぐ目の前の丘陵が「観音山」というお寺が有り、そこが唐代の揚州城の遺跡だったそうです。今回は、時間がないので出土文物を見れませんが、次回チャンスが有りましたら拝見したいですね。


右手に観音山を見ながら、10分ほど歩くと「痩西湖」が左に見えてきました。ここは、午後の予定でしたので、雰囲気を楽しみながら数分歩くと露店が見えてきました。そして、チョッと急な参道が有り、大きな門が有りました。


どれくらい歩いたのでしょうか、疲れが溜まっていましたのでヒーヒーいいながらやっと登りました。大明寺入口前で、ふと後ろを見ると、絶景かな絶景かな揚州の旧市街地が一望できます。


              それも
   


          悪天候の予報を裏切って快晴!!


         しばらく見とれていました(^ー^)


おもむろに入場券を買い中へ、先客がいて台湾から来たというかなりの団体さん。お揃いの黄色を基調とした帽子を被っています。

この団体さんとかち合わないように、すり抜けながら見学。鑑真和上に関するものは、通常の観光コースでは見れないようです。日本の仏教界が寄進した記念碑などが、寂しそうに有ります。


たぶん、こんなもんだろうな〜 と思っていましたのでそのまま歩いて奥の方へ、私の大明寺での真の目的は「欧陽脩」でした。


欧陽脩(1007-1072)は、「唐宋八大家」にも選ばれている文人です。バスの停車場の名前だった「平山堂」は、欧陽脩が建てたものです。欧陽脩は、この平山堂で酒を飲み風景を愛で試作にふけったといいます。


      私も、あやかりたいと思ってきたのです(^^)”


台湾の団体さんは、ほとんどここまできません。ガイドさんの声だけが聞こえます。平山堂は、落ち着いた感じで、ひっそりと静まり返り、掃除のおばさんの帚の音がするだけです。


中に入ると、やはり何も有りません といっても過言ではないくらいです(^^)” 正面に欧陽脩の画像がありました。拝んで「少しは漢詩文が上達しますように」とお願いをしてきました。


大体、中国でこんな感じの時は、こっそりと建物を一周してみることをお勧めします。以前、西安の「董仲舒の墓」に行ったことが有るのですが、建物と「墳墓」だけが残されており、祠の中は建築関係の作業場になっていました。作業員に「墓はどこですか」と聞くと、「後ろ」と教えてくれました。行ってみると、董仲舒の墳墓がひんやりとした空気の中にありました。


ふと、祠の方を見ると石碑がいくつも転がるように立てかけたり、寝かせたりしてありました。割れているものも有りました。


       この風景は、非常に悲しくなりました。


こんなことが有りましたので、こういう時は必ず一周することにしています。ほとんどハズレがありません。



          今回も、やっぱりそうでした


石碑が何面か割れたり、欠けたりしたものが平山堂の壁に立てかけてありました。私のメモに「重建平山堂欧陽文忠公祠記」、別の碑には「康煕十四年賜御筆祠額」、「光緒五年己卯十二月既望建」などと整斉な楷書で刻されてありました。


こういう光景を見ると、「俺に1つくれないかな〜」といつも思うのですが、私だけですかね〜 (_ _)


こうして空しい気持ちを抱きつつ、次の目的地、隋の煬帝陵へ行くために大明寺を出発。



         4月10日(木) 午前9時45分



つづく


          刃物を鍛えて160年 えいとしノミ製作所
                           佐藤 亘



揚州夜の散歩
2008年10月06日



* 写真は、揚州賓館についていた「シール」です(^0^)


どうも,こういうのがついていると得した感がありますよね(^^)




        午後10時30分 夜の散歩へ


冷えた瓶ビールと、ゆで卵などをつまみにしながら大体の感じがつかめてきたので,思い切って夜の散歩へ GOー


揚州の旧市街は、そんなに大きくないようです。正味3日あれば、歩いたりバスを使って気楽に回れそうです。


           レンタル自転車は?


と思いましたが、11日の午前10時半にはチェックアウトをしなければならないので、今回はレンタル自転車を探すのはあきらめました(_ _)


そうすると、明日10日の一日だけでほとんど回らないと行けません。そう思うと、けっこうきついですよね(^^)”


それで、バス停のチェックをかねて、ホテルの周りを散歩がてら歩いてこようというわけです。まず、さっきビールを買ったコンビニの右隣にミニスーパーがありました。ここもひょっとすると24時間営業かもしれません。タクシーでホテルに入る前に「揚州文物商店」と「古籍書店」を見つけていました。これを探すと、運良くコンビニの数件左隣でした。


「揚州文物商店」と「古籍書店」は、今回も重要な目的の1つです。


ホテルを出て運河を渡り、ほぼ正面がコンビニです。左側に歩いていくと、早速バス停がありました。バス停の名前は「史公祠」です。これは,最先いいぞ! と歩いていくと5分ほどで、大きな十字路があり「でかい道路標識」がありました。その標識には、このまままっすぐ行くと右側に「个園」があり、左側に「揚州八怪記念館」があると書いてあります。


よしよし と1人つぶやきながら大きな十字路を左に曲がり進みます。夜店があったら何か買おうと思っていましたが、どこも店じまいをやっています。まぁ、11時少し前ですからね〜


そのまま歩いていくと、建物から若い女性が1人出てきました。ほんの数歩前を歩いているので,つい見るとはなしに彼女の後ろ姿を見ながら歩きます。お顔は拝見できませんでしたが、長い黒髪をなびかせた、なかなかのプロポーションです(^^)”私の卒論を担当していただいた,吉田富夫名誉教授の訳された本に『豊乳肥臀』というのがあります。文革終了後、しばらくの間は「肥臀」だけで良かったそうですが,この10年くらいは『豊乳肥臀』でないとダメらしいです。


            ん〜 納得!


そういえば、上海と紹興でウインドウショッピングをしながら歩いていると、女性の下着売り場は日本と大差ない様な気がします(^ー^)



さて、次の大きな10字路で左に曲がろうと思い信号を待っていると、彼女も同じ方向に行くらしく,チョッと止ったかに見えたのですが、赤信号なのに平気で渡っていきます。


           流石 中国だ!



私も、マネをして左右を確認して赤で渡ってしまいました(^^)”


数分歩くと,彼女は左側のディスコみたいな店へ入っていきました。彼女がドアを開けた瞬間,にぎやかな音が聞こえてきました。

周りを見ると、若い女性や子供連れの親子がこの時間帯でも歩いたり,自転車に乗ったり,バイクに3人乗りでスーッと追い越していきます。前にも書きましたが、こっちのバイクは電動というかバッテリーで走るのか分かりませんが「音無し」で動くので,けっこう危ないです。


そうこうしているうちに、また大きな十字路に出ましてので左に曲がりました。数分すると、夜店が何店か営業していました。なんだか分かりませんが良い匂いがします。時計を見ると11時10分です。残念ですが,諦めてホテルに戻ることにしました。



         明日は,強行軍ですからね(^ー^)



運河のところにきましたので,運河沿いに左へ曲がってホテルにかえりました。この運河は、「古運河」らしいです。よく観光パンフレットに載っている様な悠揚たる風情があります。


古運河は、中国風ライトアップ(電灯ですが、赤い提灯)が連なっていて、楊柳と岩石が水面に映ってとても綺麗です。


チョッと岸辺を歩いてみようかと思って数歩歩きかけた瞬間、ガサガサッと音がします。よく見るとアベックがいっぱいいるではありませんか!



          これは,失礼 m(_ _)m


と慌てて元の通りに戻り、皆さんお幸せにと願いつつホテルに戻りました。


           ホテル着 11時25分


519号室に戻り,風呂に入り、ビールとゆで卵に中国風ジャーキーをかじりながら,明日の予定を決めて寝る。



      今日は,一日列車移動でけっこう疲れました。



             おやすみなさい…


つづく


              印刀 刻書ノミ 大工用のみ
                    佐藤栄登志ノミ製作所

                        五代 佐藤 亘



黒い謎の集団が近づいてきた ヤバイかも!?
2008年10月04日


* 写真は,夜中の散歩途中「揚州賓館」の近くのコンビニで買った地図5元(約80円)です。


今回の旅行では,コンビニのお世話になりました(^0^)
日本と同じ感覚ですね  便利便利(^ー^)





         午後8時14分 揚州駅着 


ホームに降り立つと、とにかくだだっ広い、けっこう大勢の人が降りて駅出口に向かっているはずなのですが,寒いし夜のせいでなおさら閑散として感じます。



         一歩外に出て驚きました!



なんか、飛行場のような雰囲気ですね。1階が出口で,2階が入口になっています。完成してから、そんなに長い時間は経過していないようです。


実際、私が日本で調べた資料が古かったせいか、アチャッ 予定と違うぞ〜 と思いながらタクシー乗り場へ行こうとしました。



すると、向こうから集団で近づいてくる黒い人々がいます。暗くてよく分からなかったので,避けてタクシー乗り場に行こうと思い歩き出すと、20代後半のお兄ちゃんが「どこまで?」と声をかけてきます。



        「 私は,この集団ヤバいかも〜 」


と思い込んじゃいましたので,何を言われているか分かりませんでした。何回か聞いていると、「タクシーどう、どこまで?」と言っていました。


      な〜〜〜んだ  タクシーの運ちゃんか(^^)”


どっちみち,日本で調べた場所と違っているし、何とかなるだろうと思い「揚州賓館までだけどいい」と私が言うと、運ちゃんはニコニコしながら「こっちこっち」と言って荷物を持ってくれました。


運ちゃんの車に乗ったけど、前が詰まっていて動けません。どうやら、「集団で近づいてくる黒い人々」は全員タクシーの運ちゃんでした。タクシーに乗る人間が、ザッと2〜30人。「集団で近づいてくる黒い人々」が、ザッと5〜60人以上。


という訳で、私を乗せた20代後半のお兄ちゃん運転手は、タバコに火をつけ大きく一服すると、チョッとバックしてから、やおら一段高い歩道の上に上がり一気に加速しました。これを見た,他の車も一斉に方向を変えて歩道の上に上がり一気に加速!!


やっぱり,これが中国だぜ〜と思わず笑みがこぼれました(^^)


       午後8時40分 揚州賓館着


タクシー代22、2元(約360円)は、約20分乗ったことを考えれば安い。今の中国のタクシーは,ちゃんとメーターを立てて走るので安心ですよ(^0^)


さて、運河の支線沿いに有る風雅な建物、といえば聞こえはいいが要するに古い建物ですね。チェックインでお決まりの「身代金(ヤージン)百元(1600円)」を払って部屋に入る。


         部屋は、519号室


タクシーから見えた、ホテルのすぐ近くのコンビニに直行し、「地図、大瓶ビール2本、ゆでたまご、」などを購入して13元(約210円)だから安い(^0^)

いったんホテルに戻り,購入した地図で夜の散歩コースを確認しながら冷えたビールをゴクリ。部屋は,エアコンがついていたので助かりました。



       午後10時30分 夜の散歩へ



つづく

                  佐藤栄登志のみ製作所
                    印刀 刻字用ノミ

                           佐藤 亘


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