5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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栄とし覚え書き(日記)
先代の独立
2007年06月08日
昭和24年に先代(四代目)は、現在80の看板娘と結婚します。(^^)
その後、長女が生まれますが、まだ本家に通って仕事をしていました。

その頃は、すでに三代目が退院して本家に戻り療養も一段落していましたので、
昭和25年に先代(四代目)は独立することになりました。

この時、すでに弟子のT氏がいました。

この頃は、戦後の混乱がまだつづいていた頃でしたので、現在のように1つ1つ電動モーターで動く機械は充実しておりませんでした。

当然、グラインダーもスプリングハンマーも送風機もありませんでした。

昭和39年の東京オリンピックが開かれた頃は、私が小学校の中学年の頃で「ふいご」がまだありましたし、旧式のグラインダーがあったのを覚えています。

旧式のグラインダーは、1つのモーターで「平ベルト式プーリー」で工場全体の機械を稼働させるというやり方ですから、工場だけでなく隣近所も多少揺れました。そして、音も超近所迷惑なほどでした(^^”)

でも、隣近所のほとんどが握り小ばさみ、包丁、鎌、鉋などの鍛冶屋さんや磨き屋さんとかでしたので、お互い様と言えばお互い様でしたけどね(^0^)


*  写真は、今でも鍛冶場に残っている「平ベルト式プーリー」の残り香?残骸?


つづく

                   鑿鍛冶の五代目 
                            佐藤 亘
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