5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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栄とし覚え書き(日記)
おやじの碁
2007年07月05日


*   写真は、先代が愛用していた二代目碁盤です。厚さが4寸の材で、初代よりも厚みがないので残念がっていましたが、それでも素人にはけっこう好い音がしていました(^^)


       「ヒカルの碁」という漫画が人気がありましたね、

        とても面白くて子供たちにも話題になりました。



 我が家の子供たちも「ヒカルの碁」にハマリ、4人でギャーギャー言ってました。

   そんなに ギャーギャーいうなら、じいちゃんに言って教えてもらえば? 

      と言ったと思っていたんですが、子供たちに聞いたら



    「そんな話は聞いた事がない!」と、一蹴されました(ー。ー)”



それで、子供たちに確認しましたら4人でギャーギャー言ってたのは、じいちゃんが亡くなってからだそうです(^^”) いや〜 ついに三年前の事が思い出せないなんてね。子供たちから、「父ちゃんヤバクね!」といわれてしまいました。




            「おやじの碁」


          は、楽しむ「碁」でした。

  私は、勝負を賭けてやられる方がいるという話をよく聞かされました。


私が、まだ中学生頃だったと思いますが近所に有った碁会所に、来客を知らせるために自転車で呼びに行った時。指導役の方が、「佐藤さんの碁は素直で筋が良い」と言われたのを覚えています。まぁ、今思えばお世辞なんでしょうけどね(^0^)


そうそう、弟子のT氏と80の看板娘と私もおやじから碁の手ほどきを受けたのですが、まともに初段くらいまでいったのは弟子のT氏だけで、80の看板娘と私は撃沈でした。弟子のT氏は、よく碁のランク別の大会で商品稼ぎ?というか、けっこう賞に入っていたようです。


おやじは、この辺の大会では一番上のランクだったようで、たまに賞の最後に名が入った程度だったように記憶しています。



特に晩年のおやじの棋風というんですか碁風というんですか、碁の風格は中国でいう「文人」か「隠者」の風がありました。碁会所が二転三転して自宅から遠く離れてしまってからは、自宅で新聞やテレビや雑誌を利用して1人で、白と黒の碁石を持ってパチンパチンと良い音を響かせながら碁を打っていました。



                      つづく

                        篆刻刀鍛冶  佐藤 亘
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