栄とし覚え書き(日記)

画像: 早くも印籠の神通力が消滅!?

早くも印籠の神通力が消滅!?

2008年06月09日



*  写真は、越王台のチケット





        4月7日(月) 11時40分  越王台着



チケット売り場で、颯爽と「印籠」の貴賓証を見せるが、全く反応無し。係のお兄ちゃんに、「8元」(約130円)といわれた。

念のためと思って、「これだめですか?」と貴賓証の裏に書いてあるところを見せたら、「管轄外」と言われてしまいました。


ん〜、ヤッパリ中国だなと再認識しました。


入場口は、何カ所かあるのですが、私は最短距離でチャリをこぎましたので、外人さんは来そうも無いところでした。


ここに、越王勾踐と絶世の美女「西施」がいたのかと思うと、何ともいえないですよね。つい、脳裏に司馬遷の『史記』の場面が浮かびました。


「呉と越」の話は、本当に面白いですね(^^)


「臥薪嘗胆」「雪辱」「顰みに倣う」など日本人が、よく使用する言葉の元になっていますね。以前、読んだ俗書に(俗説だと思いますが)絶世の美女「西施」は、「呉と越」を行ったり来たりするはめになりますが、相当の名器であったとされています。だてに、「傾国傾城」と言われた訳ではないようです。当時の最新の心理学と絶技で、男性の心と体を虜にしてしまう技術をもっていたとされます。


それで、「西施」が右を向けば国中の男が右を向き、左を向けば街中の男が左を向くことになったとされています。

「西施」の最後は、よく分からないようです。一説では、呉の名臣「范蠡」(ハンレイ)が、越を破った功績で「西施」を貰い受け、蜀(四川省)の方へ行ったと言います。

「范蠡」(ハンレイ)は、別名「陶朱公」といい、西施と蜀に行ってからは大金持ちになったとされます。それで、中国では大金持ちのことを「陶朱公」ともいうそうです。



                さて、話を本題に戻しましょう。


越王台には、書道の史跡もあるようです。それは、「摩崖」があると紹興交通地図に記載されています。そこに行こうと思いましたら、通用門に鍵がかかっていて通行できませんでした。


これも、中国ではよくあることなので、今回はあきらめて戻ることにしました。





          4月7日(月) 12時10分  越王台発



          小さなクリーク沿いを駆け抜けて、10分弱



                12時20分  青藤書屋着



       つづく



佐藤栄登志ノミ製作所

五代 佐藤 亘  



    
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