栄とし覚え書き(日記)

画像: エッ また書くの!?

エッ また書くの!?

2008年08月18日


*  写真は、中国人の先生(氏名不詳)が「流觴曲水」で作った詩を流觴亭で画仙紙に書かれているところです。




      4月8日(火)午前11時55分ころ


すでに、外に出られて談笑されている先生方もいらっしゃいます。


私は、「あ〜、やっと終わった」と思いながら観客席との境目の垣根を通り過ぎました。


             すると


        入場する時には分からなかった? 



       それとも、緊張していて見えなかった?


流觴亭の前と流觴亭に、なんと「揮毫場所」が設定されているではないですか!



           エッ また書くの!?


  と、思いつつ係りの方に案内されて流觴亭に移動しました。



私は、写真の先生(たぶん、この先生だったような…)が書き終わられた後に書かせて頂きました。左隣は、確か林田暁径先生だったと思います。林田先生は、サラサラッと草書で一気に書かれて、場所を空けられました。


      私は、楷書でを書かせて頂きました。


書いている途中で、皆さんいなくなり始めましたので、内心焦りましたね! (^^)”


      今回も、私が最後でした(_ _)”


それでも、多くの中国人の方が私の詩を声を出しながら読んで下さいました。書き上がった時に、品の良い老人が「貴方の詩が気に入りました。私に、その詩を一枚書いてくれないですか」と言われます。


     すると、便乗組が「私にも」と声を出します。



   私は、お世辞100%でも本当に嬉しかったです(^0^)


しかし、その時すでに、祁グループ担当通訳の朱さんが「佐藤さん、まだ終わりませんか? もう、皆さん行かれましたよ!」と言われていましたので、ご老人に「すみません、時間がありません。」と言って謝りました。


するとご老人は「それじゃ、これに名前を書いて下さい。」と、ご自身の手帳(のような感じ)を出されました。私は、承知してお借りした万年筆(ボールペンだったかな)で、「日時 日本国 新潟県 以文書法会 佐藤 海山」と書き、もう一度「時間がなくてすみません」と言って、その場を立ち去りました。


ふと、周りを見ると関係者の方が書かれた作品を流觴亭に掲示したり、揮毫場所の後始末を始められていました。



           ふ〜、やっと終わった



と思った瞬間、朱さんに「早く追いつきましょう」と急かされ、急ぎ足で歩き始めました。


やっと、祁グループに追いつき、お借りした「中国人用衣装」をお返しし歩き始めると、ブレザーまで汗びっしょりでした。


じつは、ブレザーの上から「中国六朝時代の復元衣装」を着ていました(^^)



            馬鹿ですね〜



どれくらい歩いたのでしょう? 10分位ですかね、ようやく朝乗ってきたバスのところまで辿り着きました。


  帰りの車中では、思い出話に花が咲いていました(^0^)


予定より30分弱ほど後れましたが、無事に紹興王朝飯店に着きました。朝、出かける時とは横断幕(結婚式)が替わっていました。


各自、部屋に戻り小休止をして二階の昼食会場で昼食を済ませました。


      4月8日(火)午後1時30分ころ


            各自休憩 
 


      いや〜、怒濤の半日でした(^^)”




つづく


五代 栄とし

  佐藤 亘


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