栄とし覚え書き(日記)

画像: 鑑真和上の大明寺

鑑真和上の大明寺

2008年10月08日




* 写真は、大明寺の入場券、45元(約720円)です。



日本にゆかりの有る「鑑真和上」は、私が中高校生の頃は写真入りで、歴史の教科書に大きく取り上げられていましたね。




        4月10日(木) 午前7時半 起床朝食


               8時準備  

             8時半 ホテル出発


出掛けに、ホテルのフロントで隋の煬帝陵への行き方を教えてもらいました。昨晩確認しておいた「史公祠」のバス停着。


8時45分 「游1w」のバスで「大明寺」へ、バス代は紹興と同じく1元(約16円)です。降車地の「平山堂停車場」着8時57分。


すぐ目の前の丘陵が「観音山」というお寺が有り、そこが唐代の揚州城の遺跡だったそうです。今回は、時間がないので出土文物を見れませんが、次回チャンスが有りましたら拝見したいですね。


右手に観音山を見ながら、10分ほど歩くと「痩西湖」が左に見えてきました。ここは、午後の予定でしたので、雰囲気を楽しみながら数分歩くと露店が見えてきました。そして、チョッと急な参道が有り、大きな門が有りました。


どれくらい歩いたのでしょうか、疲れが溜まっていましたのでヒーヒーいいながらやっと登りました。大明寺入口前で、ふと後ろを見ると、絶景かな絶景かな揚州の旧市街地が一望できます。


              それも
   


          悪天候の予報を裏切って快晴!!


         しばらく見とれていました(^ー^)


おもむろに入場券を買い中へ、先客がいて台湾から来たというかなりの団体さん。お揃いの黄色を基調とした帽子を被っています。

この団体さんとかち合わないように、すり抜けながら見学。鑑真和上に関するものは、通常の観光コースでは見れないようです。日本の仏教界が寄進した記念碑などが、寂しそうに有ります。


たぶん、こんなもんだろうな〜 と思っていましたのでそのまま歩いて奥の方へ、私の大明寺での真の目的は「欧陽脩」でした。


欧陽脩(1007-1072)は、「唐宋八大家」にも選ばれている文人です。バスの停車場の名前だった「平山堂」は、欧陽脩が建てたものです。欧陽脩は、この平山堂で酒を飲み風景を愛で試作にふけったといいます。


      私も、あやかりたいと思ってきたのです(^^)”


台湾の団体さんは、ほとんどここまできません。ガイドさんの声だけが聞こえます。平山堂は、落ち着いた感じで、ひっそりと静まり返り、掃除のおばさんの帚の音がするだけです。


中に入ると、やはり何も有りません といっても過言ではないくらいです(^^)” 正面に欧陽脩の画像がありました。拝んで「少しは漢詩文が上達しますように」とお願いをしてきました。


大体、中国でこんな感じの時は、こっそりと建物を一周してみることをお勧めします。以前、西安の「董仲舒の墓」に行ったことが有るのですが、建物と「墳墓」だけが残されており、祠の中は建築関係の作業場になっていました。作業員に「墓はどこですか」と聞くと、「後ろ」と教えてくれました。行ってみると、董仲舒の墳墓がひんやりとした空気の中にありました。


ふと、祠の方を見ると石碑がいくつも転がるように立てかけたり、寝かせたりしてありました。割れているものも有りました。


       この風景は、非常に悲しくなりました。


こんなことが有りましたので、こういう時は必ず一周することにしています。ほとんどハズレがありません。



          今回も、やっぱりそうでした


石碑が何面か割れたり、欠けたりしたものが平山堂の壁に立てかけてありました。私のメモに「重建平山堂欧陽文忠公祠記」、別の碑には「康煕十四年賜御筆祠額」、「光緒五年己卯十二月既望建」などと整斉な楷書で刻されてありました。


こういう光景を見ると、「俺に1つくれないかな〜」といつも思うのですが、私だけですかね〜 (_ _)


こうして空しい気持ちを抱きつつ、次の目的地、隋の煬帝陵へ行くために大明寺を出発。



         4月10日(木) 午前9時45分



つづく


          刃物を鍛えて160年 えいとしノミ製作所
                           佐藤 亘



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