栄とし覚え書き(日記)

画像: 紹興での詩

紹興での詩

2008年12月05日


* 写真は、紹興の「越王臺」のチケットです。


さて、レンターサイクルで紹興の町を周遊した時の印象を七言絶句にしたものです。


         題は、 「紹興偶成」


  北越雪中梅未笑    北越は雪中にして梅未だ笑かざるに

  浙江春里柳煙闌    浙江は春里にして柳煙闌なり
                  
  越臺禹跡将三味    越臺 禹跡 将三味

  曲水流觴祷大安    曲水の流觴に大安を祷らん



大体の意味は、

「私の住んでいる新潟県三条市は、梅の蕾もふくらまないのに、浙江省の紹興市はすでに柳絮も終わりだ。昨日今日の2日間で巡ってきた、越王台や大禹陵に魯迅の三味書屋と歴史の有る所だな。明日の蘭亭での流觴曲水の宴では、今回の旅と「第二十四届中日韓書法節」が無事に終わることを祈るとしよう。」

と、いうことです。以下は、すでに載せてある内容の一部です。

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ここに、越王勾踐と絶世の美女「西施」がいたのかと思うと、何ともいえないですよね。つい、脳裏に司馬遷の『史記』の場面が浮かびました。


「呉と越」の話は、本当に面白いですね(^^)


「臥薪嘗胆」「雪辱」「顰みに倣う」など日本人が、よく使用する言葉の元になっていますね。以前、読んだ俗書に(俗説だと思いますが)絶世の美女「西施」は、「呉と越」を行ったり来たりするはめになりますが、相当の名器であったとされています。だてに、「傾国傾城」と言われた訳ではないようです。当時の最新の心理学と絶技で、男性の心と体を虜にしてしまう技術をもっていたとされます。


それで、「西施」が右を向けば国中の男が右を向き、左を向けば街中の男が左を向くことになったとされています。

「西施」の最後は、よく分からないようです。一説では、呉の名臣「范蠡」(ハンレイ)が、越を破った功績で「西施」を貰い受け、蜀(四川省)の方へ行ったと言います。

「范蠡」(ハンレイ)は、別名「陶朱公」といい、西施と蜀に行ってからは大金持ちになったとされます。それで、中国では大金持ちのことを「陶朱公」ともいうそうです。

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佐藤 亘



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