5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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栄とし覚え書き(日記):225
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2008年12月17日



* 写真は、久しぶりに鍛えた刻字用の「4寸の巨大ノミ」です(^0^)



先代は、どんなときも「注文数プラスα」でノミを鍛えていました。例えば、6本なら7本、12本なら14本という具合です。


しかし、私は無謀にも「注文数プラスα」では鍛えないようにしています。私は、先代ほど火造りの技術が有るとは思っておりません。残念ですが、経験すれば経験するほど先代の姿が遠くなります。


つまり、私の技術で先代に近づき、追い越そうとするには(チョッと無理ですが)一本一本気を抜かずに丁寧な仕事をするしか無いのではないかと考えているからです。


ですから、今回の「4寸の巨大ノミ」も予備は鍛えませんでした。失敗したら、もう一度鍛え直すだけです。時として、お客様にご迷惑をかけることが有ります m(_ _)m


今回は、失敗しませんように…



佐藤えいとしノミ製作所

佐藤 亘





2008年12月14日


* 写真は、看板娘が「こうこ漬け(たくあん)」をしているところです。



2週間ほど、干してあった大根を使用して樽に漬けました。ここ10年くらいは、漬けなかったのですが去年から復活させました。


看板娘の病状が進まないうちに、少しでも残しておこうと家族で考えています。「もち」「笹団子」「こうこ漬け」など、伝統的に「手間のかかる作業」は、一旦途切れてしまうと復活させるのは本当に大変です。


今年から「にな(煮菜?)」も復活させました。果たして成功するやらしないやら(^^)”


というわけで、今年は漬け物樽が3つ並んでいます。



うまくできるといいな〜 (^0^)



えいとしのみ製作所

佐藤 亘


2008年12月09日
   

* 写真は、ともに合格を喜ぶセラピー犬のボスです(^^)




      私には、4人の子供がおります(^^)”



今年は、4番目の子供が大学受験です。九月までの、模試の成績がいま一つというところでした。そこで、地元国立大学の工学部の「一般公募推薦」を受験しました。


昨日、合格者の発表が有りました。子供は学校でしたので、カミさんと2人で見に行きました。「12月8日(月)午前10時に工学部の生徒玄関前に張り出される」と受験案内に有りました。玄関前についたのが、午前10時10分。わざと10分ほど遅らせた方が、空いていて良いだろうというのが理由でしたが、どうも、どこのご家庭のご父兄も同じことを考えるようで、結局五六人が順番で見ています。


その場で、電話をかけているお父さん。携帯電話で写真を撮っているお母さん。その方々の肩越しに見ていたカミさんが、『有った!』と一言。

   
           エッ どこ!?


   と私、なんたって伊達に『老眼』ではありません(^0^)


前の方が撮影作業を終了されてから、おもむろに子供の番号を探します。合格者発表の名簿が2枚掲示されています。左側の1枚目を見ますが「ありません」。カミさんに「ね〜ろ〜(無いよ)」というと、「ほら、真ん中に有るねっかさ!(ほら、真ん中に有るでしょう)」といいます。


「あのさ、家の子供、何学科?」と聞き直し、「○○学科の番号は、○○○○○○○○よ!」と、半ばあきれ顔で言われました。


やっと探し出してデジカメで写真を撮りましたが、小さすぎてよく分かりません。ましてやガラス越しなので光っています。「たしか拡大で確認できたんだけどな〜」と、独り言をいいながら、大学内の公衆電話へ直行。自宅と学校に連絡し、自動販売機の「おしるこ」で乾杯しました。


この自動販売機と公衆電話の場所から「合格発表の場所」がよく見えます。じっくりと何回も確認して、静かに戻って行かれるお母さん。口を真一文字に結んで、無言で携帯に撮って足早に車に乗り込み電話するお父さんやお母さん。など、受験の厳しさを思い知らされる場面ですね。


私は、再度デジカメで写真を撮り、家に戻ってきました。早速、上の子に「お〜〜い、デジカメで撮ってきたんだけど拡大ってどうするんだっけ?」と聞くと、「しょうがね〜な〜、テレビに映してやるよ」といわれ、テレビ画面上でやっと「番号を確認」しました。


          情けね〜 (_ _)”



まぁ、取り敢えず家の子は大学受験はこれでお終いです。さすがに、4人大学にやると大変ですよね。


これから、センター試験へ突入される受験生とご家族のご健闘を切にお祈り申し上げます m(_ _)m



刃物を鍛えて160年
佐藤えいとしノミ製作所 

佐藤 亘 拝


2008年12月05日

* 写真は、紹興の「越王臺」のチケットです。


さて、レンターサイクルで紹興の町を周遊した時の印象を七言絶句にしたものです。


         題は、 「紹興偶成」


  北越雪中梅未笑    北越は雪中にして梅未だ笑かざるに

  浙江春里柳煙闌    浙江は春里にして柳煙闌なり
                  
  越臺禹跡将三味    越臺 禹跡 将三味

  曲水流觴祷大安    曲水の流觴に大安を祷らん



大体の意味は、

「私の住んでいる新潟県三条市は、梅の蕾もふくらまないのに、浙江省の紹興市はすでに柳絮も終わりだ。昨日今日の2日間で巡ってきた、越王台や大禹陵に魯迅の三味書屋と歴史の有る所だな。明日の蘭亭での流觴曲水の宴では、今回の旅と「第二十四届中日韓書法節」が無事に終わることを祈るとしよう。」

と、いうことです。以下は、すでに載せてある内容の一部です。

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ここに、越王勾踐と絶世の美女「西施」がいたのかと思うと、何ともいえないですよね。つい、脳裏に司馬遷の『史記』の場面が浮かびました。


「呉と越」の話は、本当に面白いですね(^^)


「臥薪嘗胆」「雪辱」「顰みに倣う」など日本人が、よく使用する言葉の元になっていますね。以前、読んだ俗書に(俗説だと思いますが)絶世の美女「西施」は、「呉と越」を行ったり来たりするはめになりますが、相当の名器であったとされています。だてに、「傾国傾城」と言われた訳ではないようです。当時の最新の心理学と絶技で、男性の心と体を虜にしてしまう技術をもっていたとされます。


それで、「西施」が右を向けば国中の男が右を向き、左を向けば街中の男が左を向くことになったとされています。

「西施」の最後は、よく分からないようです。一説では、呉の名臣「范蠡」(ハンレイ)が、越を破った功績で「西施」を貰い受け、蜀(四川省)の方へ行ったと言います。

「范蠡」(ハンレイ)は、別名「陶朱公」といい、西施と蜀に行ってからは大金持ちになったとされます。それで、中国では大金持ちのことを「陶朱公」ともいうそうです。

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年末年始セール開催迫る!

えいとしノミ

佐藤 亘



2008年12月03日

* 写真は、帰りの飛行機のチケットとなどです。




      4月12日(土) 午前10時10分


中国東方航空のMU-295便に搭乗、いよいよこの旅もお終か〜っとかなり寂しい気がします。私の場合、特に中国旅行のお終いはいつもイヤです。もっと、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッと居たいな〜ッという気分にかられます。


今から、十年前か二十年ほど前か忘れましたが、家のカミさんが占い師に観てもらったところ「あなたの旦那の前世は、中国人だ」と言われたそうです。


それを聞いた時は、思わず笑ってしまいましたが「案外、当たっているかも!」と思いました(^0^)


さて話は戻りますが、私の座席は「17−A」で左側の窓際です。三人席で、空席を挟んで通路側におばちゃんが座っています。寂しそうでも有り、悲しそうです。


私は、聞くつもりは毛頭なかったのですが、どうも仲良し三人組でツアーに参加されたようです。残りの2人は。通路を挟んで三列右後ろにいらっしゃいます。けっこう大きな声で話されますので、どうしても聴こえてきます。

私は、おばちゃんに「宜しかったら、席を替わりましょうか?」と言うと、おばちゃんは流石です。「本当に宜しいんですか〜?」と言いながら、「すでに腰を浮かせていました」。私は、笑いそうになるのをこらえながら、場所を替わりました。


いや〜、やっぱりどこの国も「おばちゃんは偉い!!」と思いました。


席を替わって、三人席に1人となりましたのでかえって楽でした。何よりも、静かになりましたしね。


           10時26分 離陸


安定飛行に入ったところで、今回の旅の様子を手帳で確認し、書き忘れたところを補足したりしながらしているうちに、機内食の時間となりました。


           11時30分 機内食終了


青島ビールを飲みながら、手帳をめくりながら今回の「第二十四届中日韓蘭亭書法節」のことを想いだしました。色々な方と出会い、刺激を受け、自分の歩んできた道が間違っていなかったことを再確認できた旅でした。


祁小春先生から頂いたこのご縁で、林田暁径先生、荒金治先生、耿夫人、劉暁瑜先生、任平先生、王継安先生等にお会いできたことは、得難いものとなりました。


           ただただ感謝のみです m(_ _)m


             日本時間 午前11時55分


さて、想い出にふけっているうちに新潟空港に着陸しました。税関を通過して、荷物を受け取り外に出ると長女と母、そしてセラピー犬のボスが待っていてくれました。


長女の開口一番、「父ちゃん、着物を忘れていって大変だったろう」と興奮気味に話します。私は「なんでこの子がわかるんだ?」と、不思議に思い「どうしてそれが分かるんだ〜?」と聞き返しましたら、「ネットで毎日「第二十四届中日韓蘭亭書法節」をチェックしていたんだよ」と教えてくれました。

「父ちゃんが、中央電視台のニュースや紹興のテレビ局のニュースで、動画で出てきた時は本当に驚いたよ!!」と話してくれました。


結局、現地で参加していた私より、我家にいた家族の方が「父ちゃん、えらいことになっているね〜、ちゃんと着物を持って行けば、もっと主役級に放送されたんだろうね〜」と、家族全員興奮して話していたようです。


しかし、インターネットとはパンドラの箱を開けてしまったのかもしれませんね!


実をいうと、帰国してから分かったのですが、持参したデジカメを紹興のタクシーの中に忘れたのです。それで、今回の日記には1枚も自分で写した写真が無いのです。(^^)”


これで、「第二十四届中日韓蘭亭書法節」の旅行記は終了です。


次回からは、おまけで、旅行中に私が作った漢詩を何回かに分けてご紹介したいと思います。


謝謝

刃物を鍛えて160年
佐藤栄登志のみ製作所
佐藤 亘







2008年12月01日


* 写真は、上海駅から上海浦東空港までのリムジンバスのチケット18元(約290円)です。




      4月12日(土) 午前6時 モーニングコール


すでに昨晩、荷物の整理をしていたとはいえ最後の確認。紹興王朝大酒店での失敗を繰り返さないように「ヤージンの伝票」を持って、フロントへ直行。



          午前6時14分 チェックアウト


     ヤージン(保証金)200元を返してもらう(^ー^)


         午前6時20分 リムジンバス乗り場へ


まだ数人しかいないので、また一番後ろの左窓側に座る。一応、発車時刻は午前6時30分だ。三分の一ほど埋まっただろうか、車掌さんが乗り込んできて、無言のまま出発。


          時計を見たら、ちょうど六時半だった


来る時と同様に、何カ所か停車しながらお客さんを乗せて走る。なんだかんだで満席になったところで、おばちゃんの車掌さんが写真の切符を切りながら「どこまで?」とひとりづつ聞きながらやってくる。

一番最後が私で、「飛行場」までと百元をだしておつりをもらいました。


            午前7時32分 上海浦東空港着


一番最後に降りて、通路に出された荷物を受取って、、おばちゃんの車掌さんと運転手さんに「ありがとう」と言って空港内へ。案内板を見ると「Eカウンター」と表示されているので、Eカウンターの小姐にチケットを見せて「まだですか?」と聞くと「あと30分したら、もう一度来て下さい」と言ってくれました。


Eカウンターの近くに、コンビニと手作りパン屋さんが並んでありました。久しぶりに、まともなパンが食えると思いパン屋さんに直行。パンを2つと水を1本買って、Eカウンターの表示が見える席に座りました。



             午前7時45分 朝食


近ツーさんからもらった行程表には、ホテルにて朝食とあるが9時35分発の飛行機なのに、ホテルの朝食は7時からだといいいます。それで、朝食は食べていませんでした。


さて、パンを頬張りながら目の前を通り過ぎる人波を見ていると、それなりに面白いものです。国際空港ですから当然ですが、色々な国の方がいらっしゃるようです。その中でも特に面白いのは、「地方出身と思われる中国人の仕草」ですね(^0^)


          そうこうしているうちに


表示板に「MU285」の表字が出ました。時計を見ると8時ちょうどです。


         8時30分 出国手続き完了



つづく

佐藤栄登志鑿製作所

五代 佐藤 亘



2008年11月29日


* 写真は、さっきコンビニで買ったビールなどのレシートです。コンビニといっても、雑貨屋さんのようなミニスーパーまではいかないような場所でした。


こんな感じの店でも、レジが有るのにはいささか感動しましたね(^^)




         4月11日(金)午後8時40分


           風呂に入って、荷物を整理


          午後9時30分 終了(^0^)



青島ビール缶2本とソーセージ2本で、1人ご苦労さん会開始!


           テレビを点けると、なんと!

                 ↓

      山口百恵の「赤い衝撃」をやっていました(^ー^)


これは見なければ!!! っと思ったのもつかの間、あまりにも声優サンの声が艶艶しくて超ガッカリしてしまいチャンネルを変えてしまうことにしました。オープニングは、百恵ちゃんの歌で始まったので、「てっきり字幕スーパー」だと思ったのが運の尽きでした。


チャンネルを変えると、「トップガン」をやっていました。こちらも中国語でしたが、もうどうでもよくなりそのままにしておきました。

元気が有れば、南京路や外灘にでも行きたかったところですけどね〜。今回の旅行は、初物づくしが多すぎて疲れ果ててしまいました。私の部屋からは、東方明珠などは全く見えませんでした。


テーブルの上の明日のチケットを見ていると、早いな〜と感じます。


ふと、初めて中国を訪れた時のことを想い出してしまいました。それは、1991年の4月のこと、日本の書道会を代表する碩学の「今井凌雪先生」に上海の「復旦大学」への第二次短期書法留学の一員に加えていただいた時のことです。


    これは、本当に意味でカルチャーショックでした(^^)”


校門前に確か毛沢東の像が有ったような気がします。この中国訪問がなければ、佛教大学通信教育課程の中国文学科には入学しなかったと思います。それくらい、私の人生においてはターニングポイントの一つになったと思います。


いかんせん、今でも中国語が下手なのがどうにもなりませんね(^0^)


       4月11日(金)午後11時20分


想い出を懐かしみながら、モーニングコールをセットして寝る。



つづく

鍛冶屋 佐藤 亘




2008年11月27日


* 写真は、夕食を食べに入った「大家楽」のレシートとはし袋です。




        4月11日(金)午後7時30分 



夕飯を食べに起きる、疲れ果てていつの間にか寝てしまっていました。トイレに行ったついでに鏡を見ると、顏に右手と枕の痕がクッキリハッキリと残っていました(^^)”


  チョッと顔をマッサージしてごまかそうと思いましたが、…


    どうでも良くなって、上海駅前へ行くことにしました。



部屋を出る前に「上海机電大厦遠東大酒店」の最上階から見る不夜城上海の景色は、なんとなくおどろおどろしく感じました。


疲れた足を引きずるようにして上海駅前へ、風がとてもつめたく感じられます。来る時に降りた、リムジンバスの乗車口を確認してから、一番近くで、一番明るくて、一番明朗会計そうな場所を探しました。


そのお店の名前は「大家楽」という香港系資本のお店でした。入口のお姉さんが、ばかに綺麗で元気が有って痛快な動きと言うか仕草の女性でした。流石、香港系は違う!! と1人納得していると、その20歳前後のお姉さんは、私の方に手のひらを向けて「はい、なんになさいますか?」(多分、こう言ったんでしょう)とニコニコしています。


私は、ショウーウインドウを指差して「上からイー、アル、サン、右からイー、アル、サン、スー。」というと、「わっかりました〜、鮮蝦雲呑面は、16元(約260円)で〜す(^0^)」と元気な返事が返ってきました(^0^)


おかげで、私もチョッと元気が出てきました。お金を払って中に進んでいくと、係の男性が注文品と人数を確認して、窓際の1人席に誘導してくれました。この「鮮蝦雲呑面」は、新鮮なエビをつかった塩味系のラーメンでした。もう一杯食べちゃおうかな?ッと思うくらい美味しかったです。


お姉ちゃんにもらった元気で、隣のデパートに入ってみました。カミさんのお土産をまだ買っていませんでしたので、何か有ればと思ったのですが、なかなか思うようなものが見つからず、疲れがドッと出てきましたので、カミさんには心の中で手を合わせて(ごめんなさい)外に出ました。


結局、これ以上動く元気も無くなりましたので、近くのコンビニで缶ビール2本とつまみにソーセージ2本、お茶2袋で28元(約450円)を払って、ホテルに戻りました。


 

        4月11日(金)午後8時30分 


            スイートルーム着



つづく


ノミ鍛冶佐藤


2008年11月25日
* 写真は、荒金治さんがご尊父の荒金大琳先生と協同で製作された『唐褚遂良書雁塔聖教序•序記』です。




今年四月、中国は紹興の蘭亭書法節でご一緒した荒金治さんの労作です。以前、ご紹介しましたように私は荒金さんから2册とも頂戴しております。


先週届いた、中華書店のカタログ「ウインターセール特集号」の24頁に載っています(^^) 



   323-1248 『唐褚遂良書雁塔聖教序•序記』(2冊)を、

           ↓
  
        定価3,381円のところ、


   ウインターセールで30%引きで販売してくれるそうです。





臨書時には欠かせない1冊ですので、是非この機会にお求めになられると良いと思います。



          お薦めです(^0^)


             連絡先は

              ↓


     (株)中華書店

        101-0051 東京都千代田区神田神保町2-20-6

        電話 03-3515-6663
        FAX  03-3515-6669

        メール chinabook@chuka-shoten.co.jp


以上です(^^)”



刃物を鍛えて160年
佐藤栄とし鑿製作所


2008年11月22日

* 写真は、「上海机電大厦遠東大酒店」の部屋のキーと朝食券です。


このホテルは、今回の旅行の最初に泊まったことの有る場所でしたので、気が楽でした(^^)


日本の旅行社からもらった資料の「上海駅から歩いて五分」は、本当でした!信号待ちを入れて3分でつきました(^0^)


 
さて、ホテルにチェックインをしようとしたところ、フロントは大混雑!! 


           どうしたんだこれは?


と不思議に思いながら、順番を待って受付をすると「2508」号室だという。前に泊まった時の記憶では、「たしかスイートルーム」だったような…


行ってみたら、案の定そうでした。ベルボーイに「今日は、お客さんが多いですね」というと、「今日は、満室ですよ」と教えてくれました。本当に忙しいらしく、そそくさと持ち場に戻っていきました。


こんな広々とした部屋で「いいんかね〜」と、瞬間的に思いましたが、日本円で一泊7000円位日本の旅行社に払っているので、現地価格を考えれば、たまにはこのような還元が有ってもいいよね! と遠慮なくすることにしました(^0^)




        4月11日(金)午後5時50分 


            部屋で、小休止


つづく


鉄筆、印刀、篆刻刀、刻字ノミほか

佐藤のみ



2008年11月19日


* 写真は、揚州古籍書店で購入したレシートの一部です。今回の旅行も、中国の書籍で一杯になりそうです。




        4月11日 午後4時16分 蘇州駅着



アメリカ人と思われる十数名の団体ツアー客が、ドカドカと入ってくる。中高年のおじさんおばさんたちで、五月蝿いのなんのってありません。それに輪をかけて、真っ赤っかのスーツで身を固めた30前後の小姐がが「だまれ!」と言いたいくらい五月蝿い(^^)”


まぁ、添乗員という仕事がらしょうがないんでしょうがね…


右斜め前には、女の子が学校の宿題をやっていました。女の子の隣に座っているお母さんに、チョッと話を聞いてみると、この子は小学校の一年生だそうで、「勉強嫌いでね〜」と教えてくれました。


チョッと覗かせてもらうと、国語の穴埋め問題でしたが、私の中国語のレベルでは、半分できるかな〜? という内容でした。その他に、算数などの数枚のプリントが出されていました。小学校一年生ということを考えると、とても一時間で終わる内容では有りません。


日本の公立の小学校(私の住む三条市)では、あまり宿題を出さないところも有ると聞きます。意外なところで、日中の教育の「質」の違いを見てしまいました。


近年の中国の様子をチラチラと見ていますと、十年後くらいには日本人が中国人に使われる時代が来るかもしれませんね(^0^)


お母さんが、「韓国人?」と聞くので「日本人です」と答え、「日本の小学一年生は、こんなに勉強しないと思いますよ。」というと、かえって驚いていました。


話は前後しましたが、この親子は南京駅から乗って、あの五月蝿いツアー客と入れ違いに蘇州駅で降りていきました。毎週末は、家に帰るのだそうです。そういわれてみれば、今日は金曜日でした。



   そうこうしているうちに、午後5時23分 上海駅着



隣の男性と挨拶をして、ホームに降りると思わずブルッときました。気温が、けっこう下がっていました。



つづく


刻字用ノミ 印刀 栄としのみ製作所





2008年11月17日



* 写真は、NHKの中国列車一筆書きなんとか?という番組で、関口さんが食べていたラーメンです。



       4月11日 12時30分頃



ついに待ちに待った車内販売の小姐がやってきました(^^)他の方は,食堂車で作ったばかりの「包飯」(お弁当)を頼んだりしていました。私は、カートを指差して「それ一つ下さい。いくらですか?」というと、小姐は「5元(約80円)」と教えてくれました。早速、5元を支払うと後から来た別の小姐に、私の方を見ながら何か指示をしました。


紹興に行く時に,一回この様子を見ていましたので、「あぁ、お湯を入れて持ってきてくれるように指示したんだな」と1人で納得していました。すると数分後、カップ麺にお湯を入れて容器の縁に透明のフォークを突き刺して持ってきてくれました。


小姐は、「3分待って下さい」と言ってくれましたので、「お手数をおかけしました」と私が言うと、「なんでもありませんよ」とニコッと笑って颯爽と歩いていきました(^0^)


え〜っと、カップ麺の名前は「今麦郎 紅焼牛肉味」となっています。名前を忘れてしまったのですが、隣の男性が「それ,本当に辛いよ。私は、たべないですよ。」と、教えてくれました。


そこで、「実は、NHKの中国列車一筆書きなんとか?という番組をやっているのですが、ちょうど江南のあたりを通過する時に,関口さんが隣のおばさんからもらって食べていたんですよ。」というと、「関口宏ですか?」と聞きますので、「せがれさんで,智宏さんとかいうらしいですよ」と話しました。


この、国家体育総局訓練局運動員専用面とも書いてある「今麦郎 紅焼牛肉味」は、本当に美味しいのですが,辛いです。



皆さんも,中国へ旅行される機会が有りましたら,コンビニでも売っていますので是非,試食してみて下さい。




      4月11日 午後1時 食べ終わる



やっぱり,喉が渇きます。持参したペットボトルの水を汗を拭き拭き飲みました(^^)”



つづく

刃物を鍛えて160年
栄としノミ製作所 佐藤 亘




2008年11月15日




* 写真は、揚州駅から上海駅までの列車のチケットです。



       4月11日 11時55分 


上海行きの改札が始まりました。けっこう人がいっぱい並んでいます。上海と違って、多少割り込む人が多かった気がします(^^)”


いつものように、隊列を組んで? ホームまで歩いていきます。来る時は、夜でしたのであまりよく分かりませんでしたが、清潔感の有る爽やかなホームでした。


しかし、ホームに着きましたが、どこに居ればよいか分かりません。周りを見ると、駅員に聞いています。私も切符を見せながら「どの辺ですか?」と聞くと、手振りを交えながら「向こう」と教えてくれます。


これで、お分かりのように「○○の何号車はこの辺」という表示が何も無いのです(^0^)”


ですので、あとは「勘」だけがたよりです。まぁ、そう離れていない場所で良かったです。といっても、2両分ほど先まで歩きましたが… 無事、五号車の71番の窓側に座りました。



        やれやれ、とホッと一安心(^ー^)


列車が動いて数分後、背の高い男性が声をかけてきました。「そこは、私の場所だよ」と、あわててチケットを見せると、「あんたは、通路側だね」と、教えてくれました。私は、「どうもすみませんでした」と言って、場所を替わりました。


けっこう、ファッションセンスの有る方でした。男性は、「日本人ですか?」と日本語で話しかけてきました。私は、驚いて「そうです。しかし、日本語がお上手ですね!」と答えると、男性は「昭和63年に、東京のファッション関係の学校に留学したんですよ。」と、教えてくれました。


私自身、三条市で地元企業が受け入れている、中国人研修生の日本語を指導した経験が有りましたので、この男性は、ご本人の努力に加えて、良い日本語教師と出会われたのだと直感しました。


そこで、早速もう一度チケットを見せて、「どこで窓側と通路側が分かるんですか?」とお聞きしました。実は、紹興と上海それに揚州に来る時に乗った列車は、すべて日本と同じように「窓側に,窓側○○番、通路側○○番」と書いてあったのですが,今回乗った列車には、その表示がなく、「記号というか,マーク」が表示されてあるだけでした。


それで,空いているし、つい窓側だろうと自分で勝手に決めて座ったのでした。男性は、「細長い楕円の、記号というかマーク」
を指差しながら、「これが窓側」と教えてくれました。今度乗る時は,気をつけたいですね(^ー^)


そうこうしているうちに、定刻の12時20分に発車した列車は、かなりスピードに乗ってきました。時計を見ると12時30分を過ぎています。


早く,車内販売の小姐がこないかな〜 と待っていると、来ました来ました。

 
            何を頼んだかは…



つづく

ノミ 鉄筆 佐藤のみ


2008年11月12日


* 写真は、揚州駅の売店で買った新聞「旧聞」1元(約16円)です。


内容は、「三十年ほど前の雲南地方の知識青年たちの行動」や、「中国人民解放軍の1950年チベット解放」はたまた「袁世凱の巨額遺産の分配」等等、中国現代史に興味の有る方にはこたえられない内容かも知れませんね。私は、まだ全部読んでいませんけどね(^^)”



      4月11日 10時55分 揚州駅へ到着


おとといの夜、初めて見た揚州駅の風景に倍して広々とした景観が広がっています。新潟空港よりも大きいと思いますね! 


きっとこれから、な〜んにも無いこの駅前に、色々な建物が建設されていくのでしょう。


今回の揚州で、私が観光した地域は旧市街地にあたるようです。まだ、所々に昔の風情が残されています。この揚州も、私の感覚に合うようです。元気なうちに、何回か訪れてみたい町の1つとなりました(^0^)


さて、タクシー代23元(約370円)を払って2階の待合室に入りますと、できて何年もたっていないのかもしれませんが、凄く綺麗です。上海駅のように、人で混み合っている訳でもありませんし、清潔感の有る素晴らしい駅ですね。


写真の新聞を斜めに見ながら、ふと見るとナント「自動販売機」があるじゃ〜ないですか!ポケットを見たら、小銭が有りましたので試しに購入してみることにしました。



    ネスカフェの飲料の自動販売機でした(^0^)


オーッ、コーヒーがこういう場所で、しかも自動販売機で飲めるなんて(^^)


ネスカフェのブレンドコーヒーが2元(約30円)、オレンジジュースが1元(約16円)でしたので、早速1元硬貨を2枚入れて、ミルクと砂糖入りのボタンを押しました。すると、初めは誰もいなかったのですが、いつの間にか数人の若い男性が側にいて、私のやっていることを見ていたのです。


そして、私がうまそうに一口飲んだところで、私のマネをして2元を投入して同じミルクと砂糖入りのコーヒーを頼みました。ああ、そうか、中国の方はまだ自動販売機に慣れていないんだった。と思い、しばらくコーヒーを飲みながら見ていると、だんだん友人を呼び始めます。最初に、私のマネをした人が得意そうに「こうやるんだよ」とでも言っているのでしょうか、自慢げに話しています。


ニコニコしながら私が見ていると、私のマネをした人と目線が合いました。「おいしいね〜」と私が言うと、彼もニコニコしながらコーヒーを口に含みながら、軽くうなずきました。


自動販売機は有りますが、ゴミ箱が置いてありません。やっと探して紙カップを捨てて自分の場所に戻りました、


つづく


印刀 ノミ 切出し

佐藤栄登志ノミ製作所 佐藤 亘





疲れも有りましたのでとても美味しかったです。
2008年11月10日


* 写真は、揚州古籍書店で購入した書籍の一部です。


私の中国旅行の楽しみの1つに、本屋さんに行くことが有ります。新刊書は、全国どこでも同一価格ですしね(^^)”


最近では、日本の書籍を中国で発行してくれるようになりました。
例えば、川端康成の『雪国』等ですが、驚くべきことに超マニヤックな鈴木牧之の『北越雪譜』がありました。この北越雪譜』は、日本の方はおろか、地元新潟県の方でも知らない方の方が多いかもしれません(^^)” 


江戸時代の雪国新潟、言い換えると「魚沼産コシヒカリの産地」と申しても過言では有りません。色んなエピソードが有るのですが、「男性が、吹雪の中道に迷い洞穴に入って休もうとしたところ、そこには先客の熊がおりました。その熊は、大変優しくその男に右手を舐めさせてやり、温めてやりました。」大体こんな内容の、短い話が多いのですが、中国で翻訳されて出版されるとはね〜 中国人恐るべし(^0^)

雪国の生活に興味の有る方は、是非一読して下さい。現在でも売られています。




        9時 5分  揚州古籍書店着


10時くらいまで、店内の新刊書をみてまわりました。書道関係を中心に両手にいっぱい購入してしまいました。


レシートが行方不明ですので、いくら使ったか分かりません。


          10時15分 ホテル着


急いで荷造りをして、10時40分 チェックアウト、ヤージン100元を返してもらい、タクシーで揚州駅へ出発。



つづく


栄登志のみ 篆刻刀、ノミ 
佐藤 亘



2008年11月07日



* 写真は、十一月の声を聞くと床の間に飾る掛軸です。



     我家では、「金山様」と呼んでます(^^)



「鍛冶屋の神様だ」と先代から聞いていました。今では、鍛冶屋さんも大変少なくなりました。

私が、高校を卒業して鍛冶場に入った頃は、同業のノミ鍛冶だけでも30件弱いらっしゃいましたが、今では両手に足りません。

そんな訳ですので、五十を過ぎた私でも「若手」になっているようです。実際に私の下は、先代の弟子の田齋さんの倅がやっているくらいですね。


さびしいものです(_ _)






ちなみに、我家の金山様は十一月八日(土)ですが、私が不在ですので十一月九日(日)にしようと思います。



佐藤えいとしノミ製作所


佐藤 亘 拝


2008年11月03日



* 写真は、个園のチケットです。40元(約640円)は、高い様な安い様な気分ですね(^^)”



清代の文人、石涛(1630-1742)の庭園だったそうですが、チケットの簡易説明を読みますと「个園は、清代嘉慶年間の両淮塩商商総の黄至筠(1770‐1838)が、明代の寿芝園の旧址に建設した私園だそうです。主人の「竹が大好きな性格」から、園の芸術性が世に知られるようになり、北京の頤和園、承徳の避暑山荘、蘇州の拙政園とともに中国四大庭園に数えられている。…。」そうです。




       4月11日(金)7時30分 朝食


      いったん部屋に戻り、8時5分部屋を出る


        8時20分「个園」着 見学開始


それほど大きくない、こじんまりとした庭園ですね。やはり「竹の種類」が多いです。何百種類もあると言われる竹全部があるのではないかと思われるほどの種類の多さです(^0^)


  私は、「斑竹」を見つけた時はチョッと嬉しかったですね!


  以外と斑点が大きく、まさに美女の涙のようでした(^^)”


時間がないので、競歩の様な感じで見て歩きましたので、見学時間は「26分」でした。今思えば、もったいなかったですね〜



         8時46分 个園を出る



         歩いて、揚州古籍書店へ



つづく

五代 えいとし
佐藤 亘



 
2008年11月01日



* 写真は、劉海粟の画賛の部分です(^ー^)




        4月11日(金)6時10分起床



今回の中国旅行最後の観光です。列車のチケットと時間を確認してから、見学時間は「10時」までと決め部屋を出る。


タクシーを捕まえに古運河沿いの通りに出ると、運良くすぐにタクシーを捕まえることができました。20代後半くらいの運転手さんで、「地図を見せながら、京杭運河を見たいんだけど、ここまでお願いします。そして終わったら、揚州賓館まで戻って下さい。」というと、「いいですよ」と気持ちよく出発してくれました。



私は、「揚州交通旅游図」という地図を見ながら外の景色を見ていると、「五台山」という大きな標識が出ています。んんっ? あれは、かの有名な仏教霊場の「五台山」か?と思いましたが、周囲には何もそれらしきものは有りません。たしか〜場所が違うよな〜と思いながら通り過ぎます。


それから、直ぐに運転手さんが「着いたよ」と教えてくれました。橋の名前は「江揚大橋」でした。車の通りも少ないので、いったん橋を渡り切り、反対側車線に移動してもらいました。江揚大橋のど真ん中に車を止めてもらい、下流方向を眺め、写真を撮りました。


隋の煬帝が造ったと言われる運河だけに、けっこう大きな舟も往来しています。ひょっとすると、後世に修復されているのかもしれませんね(^0^)


ジ〜〜〜〜ッと眺めていると、昨日見学した鑑真和上や日本の遣唐使等もこの流れを使って文化を伝え、文化を学びにきたのだと思うと、つい、涙がにじみ出ていました。手で拭い、車に乗り込みました。タバコで一服していた運転手さんは、「もういいの?」と聞くので「今日は時間がないから…」と言って、朝日に照らされ悠揚と流れる京杭運河を想いだしながら、ホテルまで戻ってもらいました。




         4月11日(金)6時50分 



     ホテル着、往復タクシー代28元(約450円)


     いったん部屋に戻り、朝食時間まで小休止(^^)




つづく

刃物を鍛えて160年
佐藤栄登志のみ製作所


2008年10月30日



* 写真は、今日ゲットした劉海粟の扇面のカニの画の部分です(^^)




       4月10日(木) 午後7時50分 


コンビニで買ってきたビールやゆで卵などを出し、今日ゲットした「劉海粟の扇面のカニの画」を取り出して鑑賞します。



河南美術出版社の『民国書法』より一部抜粋して訳しますと、「劉海粟(1896−1994)は、江蘇省常州の人。民国元年(1911)に上海美術専門学校の校長や上海市博物館董事を歴任。書では有名ではないが、その書法の造詣は非常に深く、金文、石鼓、行草…。」と紹介されています。


私の記憶違いでなければ、上海美術専門学校時代でしょうか、中国で初めて「裸婦のスケッチ」を取り入れた人で、当時の一大センセーショナルだったそうです(^ー^)



画賛の方は、七言絶句が二首書かれてあるようです。詩の内容からして、どうもこのカニは上海ガニかもしれませんね。落款に「丁卯八月(一九二七年旧暦八月)」とあります。30そこそこでこのレベルですからね〜、恐ろしや劉海粟!!



詩の内容は、まだ精読しておりませんので確定しませんが、「霜の便りはまだ来ないから、秋の空もまだ高くはない。…。詩人の孟東野のように、…空螯を嚼む。」とあります。おそらく初秋から中秋あたりの頃に、「旬の上海ガニが待ちきれずに、カニみその無い味気ないカニを食っているよ。」という思わず笑みがこぼれそうな詩ですね(^0^)


さて、「劉海粟の扇面のカニの画」に気分を良くした私は、風呂に入って汗と疲れを落としてから、明日の予定を決めることにしました(^^)



           午後8時40分 風呂


               9時


ビールを飲みながら、荷物の整理と明日の予定を決めました。


明日は、運河と个園、そして最後に時間があれば古籍書店に行くことにしました(^0^)



                        つづく


                    刻字用ノミ 印刀 鉄筆 

                          佐藤栄登志のみ製作所 



  
2008年10月27日



* 写真は、揚州文物商店で買った「劉海粟」のレシートです(^^)



      4月10日(木)7時25分 レストランを出る



ハッキリとは覚えていませんが、空には朧月が出ていたように…
ビールが効いてるせいか、まっすぐに歩けません。古運河沿いの歩道を落ちないようにして歩きました。この時は、李白ばりに古運河に映る月をお伴に鼻歌まじりに歩きます。これで漢詩の一首でも口から出てくれば大したもんですが、出てきたのは美空ひばりの「酒は涙かため息か」(題違ってたらごめんなさい)でした。


ホテルに帰る前に必ず寄るコンビニで、水2本にゆで卵2つ、中国版ポッキーと干しぶどう、それにビール2本を23.8元(約380円)で購入。


コンビニの店員さんは、三十前半くらいのお母さんっぽかったです。夜に行くといつもいるので、顔なじみではないですが中国人には珍しい優しい女性でした(^0^)


「飲んでるの?」と言われましたので、つい「はい」と日本語で答えてしまいました。店員さんはニコニコしながら「日本人ですね」といいます。「よくわかりましたね〜」というと、「「はい」って言いましたよ」と言われ、「あなたは頭がいいですね〜」と訳の分からんことを言って、おつりをもらって部屋に戻りました。


       まぁ、ただの酔っぱらいでしたね(^^)”


店員さんは、「ホテルはどこ?」と聞くので、「揚州賓館」というと、「気をつけてね」と手を振って送ってくれました。



       4月10日(木) 午後7時45分 部屋着



つづく


えいとしノミ製作所 

印刀 篆刻刀 鉄筆 刻字用ノミ

佐藤 亘


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