5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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2008年10月26日
       

* 写真は、揚州炒飯を食べにいった「永和豆漿揚州店」のレシートです。今回は、レストラン系は全て明瞭会計になりましたね(^^)



      4月10日(木)6時40分まで部屋で小休止


痩西湖公園は、「観光で見学」というよりも「体力勝負の早歩きレース」でした。入場券を購入した場所で元小姐数人に言われたのですが、「無理!」「最低半日なきゃだめよ」と口を揃えて言われていたのです。

本当にそうでしたね、次回は揚州滞在を最低3日にしたいですね。そうでないと、ゆっくり古都の味わいを満喫することができません(^^) 


     と、ホテルのベッドに横になりながら反省しました。


6時40分、部屋を出て夕食場所を物色。ホテルから運河沿いに歩いて10分ほどのところに、明るい雰囲気のレストランが有りましたので入ることにしました。お店の名前を「永和豆漿揚州店」といいます。

このお店では、やはり炒飯を頼むことにしました。相当疲れていたので辛目の揚州炒飯12元(約190円)を頼みました。おまけにジャスミンビール5元(約80円)もたのみました。


けっこう冷えてる瓶ビールで、一口飲んだらよほど疲れていたのでしょう、酔いがグリグリ回るのが分かります。残りは、炒飯が来てから飲みながら食べることにしました。


           コトンと音がします


ふと見ると、揚州炒飯辛口版が湯気を立てて置いてあります。どれくらいなのでしょう、寝てしまっていました。さっきの一口のビールが体の疲れを一気に感じさせてくれました。


揚州炒飯辛口版は、けっこう辛かったですがとても美味しかったです。ビールとかわるがわる口に放り込みながら、寝たい気分に負けないように食べました。しかし、揚州炒飯辛口版は、量が多い!


           想像通りでした(_ _)


無理しないで、食えるところまでで辞めました。それでも半分以上は食べましたね(^0^)



つづく


刻字ノミ 印刀 大工ノミ

佐藤栄登志鑿製作所
佐藤 亘


2008年10月23日



* 写真は、痩西湖のチケット90元(約1450円)です。


晩唐の詩人、杜牧の「揚州の韓綽判官に寄す」という七言絶句に詠われている橋です。一度は、見てみたいと思っていましたので、やっと念願が叶いました(^0^)


  NHKの「漢詩を読む 杜牧」を引用させていただきます。

 
「揚州の韓綽判官に寄す」杜牧

          いんいん    ちょうちょう
        青山 隠隠 として 水 迢迢 たり
                  しぼ
        秋尽きて 江南草木 凋む

        二十四橋 明月の夜
           いず    すいしょう
        玉人 何れの処にか 吹簫を教うる


ン〜、なんとも良いですな〜〜(^^)



         さて、3時55分ホテル出発


急ぎ、「痩西湖」のチケット売り場へ! と思いましたが、疲労のため足が進まず、やっとの思いで着いたのが


              4時45分


      係員に、5時半までだと言われ、慌てて中へ進入!


15分ほど歩いたら、出口でした。アレッ、二十四橋はどうしたの〜? と地図を確認すると、途中で一般道を通り抜けないとダメなようです。


急いで次の関所?を通り抜け、二十四橋まで早足で急ぎます。



          現在 5時 7分


        リミットまで、後23分!


だんだん観光客が少なくなってきますが、黙々と景色をチラチラ眺めつつ歩きます。



            5時 15分

     「閉門時間のお知らせ」の放送が数回入りました


      まだ、目的地の二十四橋は見えません(_ _)


            5時 20分


   案内標識に、どうもそれらしいのが見えてきました(^^)


汗をだらだらかいて一心不乱に歩きますと、こじんまりとした橋が見えてきました。



             そうです


            5時 35分



        ついに、二十四橋到着(^0^)


園内の職員が全員遊覧船で帰る中、私と老夫婦の三人で感慨深く眺める間もなく、「お〜い、門を閉めるぞ〜〜〜!」と係員が私たち三人に声をかけます。

老夫婦が手を上げて、「今行くよ〜」と返事をしてくれましたので、一緒に門外に出ました。


           5時 40分 


           退園、任務完了



次回は、もっと時間を取って悠然と遊覧船に乗って痩西湖を満喫したいものですね(^ー^)


超疲れましたので、タクシー7元(約110円)でホテルまで帰りました。



           6時 部屋着 小休止



つづく


鉄筆 鑿

佐藤栄登志のみ製作所



2008年10月19日


* 写真は、揚州文物商店で購入した「劉海粟の扇面」です(^0^)


ホテルの部屋に戻って、レートを確認すると「2500元は、約3万6900円」でした(^0^)


  

     4月10日(木) 午後1時45分 ホテル出発



中国銀行で3万円を両替(2028、7元)、この時チョッと円高になっておりました(^^)



お金を持って元小姐のところへ行って「はい、2500元」と言って渡してから、「残りを見せてもらえますか?」とお願いして残りのケースを見せてもらいました。


元小姐は、伝票を書きながら「掛軸は見ないの?」と聞いてきました。私は、「残念ですが、時間がないので…」と言いますと「いつまでいるの」と聞かれましたので、「明日の午前で上海に行きます。昨日の夜着いたので、まだ「二十四橋」も看ていないんですよ。」と言うと、「それじゃ〜、しょうがないわね」と言われました。


 
     猛スピードで全部看たら、もう3時になります。


オッと、やべ〜と思いながら、選別した作品の善し悪しを元小姐に尋ねますと、「選んだ作品は、みんな本物よ。」と言ってくれました。



「揚州文物商店の看板は、劉海粟の筆ですよね」と言うと、「劉海粟の元気な頃のもの」と教えてくれました。「しかし、劉海粟は「詩」もうまいですね〜。」というと、「何でもできた人よ」と教えてくれました。そして、「今まで、日本人で劉海粟の詩を褒めた人はいないわね。あなた、詩をやるの」といいました。「ほんの少しだけ」といいながら、蘭亭での詩を見せると「ん〜、いいわね」と褒めてくれました。(^^)”



元小姐とは、午前中に扇面を見ながら色々話をしていましたので、何でも教えてくれました。趙古泥や鄭孝胥に張大千、そして鄧散木などについても「真贋」を教えてもらいました。ついでに、購入した「劉海粟の扇面」についても聞くと、「これは、出来がいいわねお買い得よ。」と言ってくれました。さらに元小姐は、「劉海粟は、これから価値がでる人ね」とも言ってくれました。



「それじゃ〜、これから痩西湖に行ってきます。揚州に来たら、また寄りますから。」と言って、お別れをしました。




        
             3時 5分 


        中で繋がっている、隣の古籍書店へ


          ダッシュで店内を回り物色!


    小姐に「「佩文韻府」はありますか?」と聞くと



         「無い!」と冷たい一言(_ _)



まぁ、いつものことだ、しょうがないと思いながら、会計をすませホテルへ戦利品?を置きにいく。




    4月10日(木) 午後3時30分 ホテル着



                       つづく


                      佐藤栄としノミ製作所
                           佐藤 亘

       

       
2008年10月17日


* 写真は、揚州文物商店で買った「四君子の中古VCD」です(^^)


5年ほど前でしょうか、中国で書道のVCDを購入したのですが、パソコンのソフトの関係か結局見ることができませんでした。今回も、ダメかな〜と思いながら「ダメ元で買っていくか!」と意を決して、梅、蘭、竹、菊の四枚で100元(約1600円)。中古でしたので半額以下だったと思います。


一番まともそうなヤツをと、念入りに確認し購入しました。帰国して見ましたら、なんとか全部綺麗に見ることができました(^^)



 
        4月10日 午前11時20分



             揚州文物商店



早速、2階の方へ上がっていきますと、元小姐(四十代か?)が1人いました。お客は誰もいませんので、元小姐に「扇面だけ全部拝見しても宜しいですか?」とお願いすると、「韓国人か?」と聞かれましたので「いえ、日本人です」と答えると、「好きなだけ見てもいいわよ」と、鍵を全部開けてくれました。


全部で四ケースの展示スペース分を見るには、時間が足りないと思いましたので、もう直感で1つ1つ見ていきました。


元小姐は、鼻歌を歌いながら私が選別していくのを側で見ています。2ケースが終わった段階で、「劉海粟の扇面」と「張大千の画冊」が選別されていました。



        この段階で、12時45分


ここで、「劉海粟の扇面」と「張大千の画冊」の価格を確認しました。「劉海粟の扇面」は、3,000元(約4万8000円)で、「張大千の画冊(八枚)」で10,000元(約160,000円)でした。


元小姐に、「どちらか買うから、チョッと安くしてもらえませんか?」と聞くと、「劉海粟の扇面」は、2,500元(約4万円)で、「張大千の画冊(八枚)」は9,000元(14万4000円)までだといいます。


「張大千の画冊(八枚)」は、友人に1枚づつ分けてもいいな、と思ったのですが…


結局、「劉海粟の扇面」2,500元(約4万円)を購入することにしました。ところが、持ち合わせが足りません(^^)”



さっき、銀行で2万円分しか替えなかったのでした(_ _)



元小姐に、「お昼を食べてから、人民銀行でお金を替えてくるから、「劉海粟の扇面」を取っておいて下さい。」とお願いすると、「OK〜」と言ってくれました。


それで、隣のコンビニでコンビニ弁当と飲物を8元(約120円)で購入。疲れましたので、焼き肉弁当にしちゃいました。とっても美味かったです(^0^)



          4月10日(木) 午後1時


               ぐったり



            ホテルのベッドで小休止



つづく


                 篆刻刀 刻字用ノミなど

                 刃物を鍛えて160年 栄登志のみ製作所
                           佐藤 亘



2008年10月15日


* 写真は、前田含秀先生の作品です。





今月から、「前田先生の日記」が開始されました。小所ホームページに掲載されています。進入経路は2つです。


1つは、トップページ中央の「西冷印社篆刻展優秀賞受賞」をクリックしていただいて、ズ〜〜ッと下まで下がって右側に『前田先生の日記』の場所が有りますので、クリックして下さい。


2つ目は、トップページ左側を見ながら、下に下がっていくと『前田先生の日記』の場所が有りますので、クリックして下さい。



最新版を以下に転載させていただきました。無断ですが…(_ _)



中国事情に明るい前田先生ですので、是非、色々とお尋ねになって見るのも楽しいと思います(^0^)



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◆「一刀入魂(私の篆刻道)」(その3)

 私は筑波大学芸術専門学群の第一期生です。

 草創期の筑波大学は、研究学園都市がまだまだ未整理で、生活の窓口は常磐線の土浦にありました。
 
 近年は、「つくばエクスプレス」が開通して便利になったようですが、当時は上野発の夜行列車〜〜♪とまではいかなかったけれど、都心から旅に出るような感じで、駅弁とお茶を買って出講した…とは、消えゆく教育大と生まれ来る筑波大を往復してくださった恩師が口々に話題にすることでした。

 私は、家が船橋だったので、寮には入れませんでした。当時の学生寮は、身体障害者、外国人が最優先で、その後、北海道から沖縄まで、筑波を中心にした同心円の遠い順に入寮が許され、最後に250人があぶれました。私はそのあぶれ組でした。

 あぶれたことを当時はちょっと残念がりもしましたが、人生全て「塞翁が馬」です。そのことが、私の次の出会いを生むことになりました! (続)
 

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 栄登志のみ 五代 
         佐藤 亘


2008年10月13日

* 写真左の小冊子は、「揚州八怪記念館」のお土産物売り場にいらっしゃった、「于林」さんに頂いたものです(^0^)


40ページほどの小さな本ですが、揚州の文人たちの意気を感じました。于林さんのお話では、自分たち文人仲間で作ったのだそうです。


揚州を愛していらっしゃるのですね(^ー^)




        10時35分 揚州八怪記念館


    文字通り、揚州八怪の作品が展示されています(^^)


揚州八怪は、王士慎(1686−1759)、李鱓(1686−1762)、金農(1687−1763)、黄慎(1687−1766)、高翔(1688−1754)、鄭燮(1693−1765)、李方膺(1697−1756)、羅聘(1733−1799)をいうそうです。大作から、小品までまで展示されていました。


展示は、そればかりではなく六角柱の石碑が展示されています。痛みが激しく、ガラスケースで全面を覆って保存されていました。

さて、奥の方に歩いていくと、金農が住んでいたことが有る場所として、「金農寄居室」が保存され展示されていました。中に入ってみると、こじんまりとした部屋で、チョッとだけ文人の気分に浸ってきました(^^)”


記念館のメイン会場には、現代の方の作品が展示されていました。


再度、揚州八怪の展示室に戻りゆっくりと拝見しました。台湾の団体さんは、こちらの方はお気に召さないのか誰もきませんでした。
最初に見たときもそうでしたが、2回目も私ともう1人か2人いただけでした(^0^)


最後にお土産物売り場に行くと、写真の小冊子「揚州圓林名勝楹聯」
というのが目に入りました。係員の青年男性に「これを1冊下さい、いくらですか?」と聞くと、「どこから来たの?」と反対に聞かれましたので「昨日、紹興の蘭亭節を終えてきたんだ。」というと、「日本人か?」と聞くので「そうだ」と答えると、「これはプレゼントだ」と、1冊印を押してくれました。


私はタダでは悪いので、「紙と筆はありますか、蘭亭節で作った詩を書きますから」というと、売り物の詩箋を取り出して、「これに書いてくれと」、筆ペンを差し出します。


          まぁ、これもよかろう


と、「曲水偶吟」を書きました。于林さんは、非常に喜んでくれて、「また是非揚州に来てくれ」と握手を求めてきました。


私も、「是非もう一度来たいですね」と言って分かれました(^^)


私が振り返ってみると、仲間の人数人に私の詩を見せていました。


     お金を替えに、ホテルの前の人民銀行へより



        4月10日 午前11時20分



           「揚州文物商店」着



つづく

                   印刀 刻字用ノミ 

                    佐藤えいとしノミ製作所
                               佐藤 亘


2008年10月11日


* 写真右が、「揚州八怪記念館」のチケット25元(約400円)


この段階で、所持金が85、9元。これはまずい、ということで銀行で両替(^^)”






         4月10日(木) 午前9時45分


         隋の煬帝陵へ行くために大明寺を出発



        午前9時55分  平山堂バスターミナル



揚州賓館のフロントで聞いた、「隋の煬帝陵」への5路のバスは現在廃線というか、無いそうである。平山堂バスターミナルというより営業所(^^)” のメカニックがいうには、「タクシーで行くしかない」とのことである。



          そこで、所持金をチェックすると


                なんと


            ヤバイ! 111.9元


実は、今朝出掛けに揚州賓館のフロントで両替をしようと思ったのですが、「できません。前の中国銀行で替えて下さい。」と可愛らしい小姐に言われたのです。ホテルで両替できない場所は久しぶりでした(^ー^)


出発時間が9時前でしたので、当然「中国銀行」も空いてなかったのです。という訳で、両替ができなかったのです(^^)”


         話は戻って平山堂バス営業所です。


この近辺は、タクシーがほとんど通らないし、人も通らない場所なのです。営業所のメカニックに聞くと「タクシーで2〜30分はかかるらしい」のです。昨日の揚州駅からホテルまでの料金を考えると、往復のタクシー料金は大丈夫の様な気がしましたが、隋の煬帝陵の料金がいくらか分かりません。そこで、今回は残念ながら隋の煬帝陵は諦めることにしました(_ _)



それなら、揚州八怪記念館と个園を訪れることにしました。地図で路線を確認するると、「游1」に乗ると揚州賓館前の「史公祠」に着くので、バス停の前の中国人民銀行で両替をしようと決めました。


       午前10時5分  平山堂営業所発


10時25分 中国人民銀行着 行列のできる銀行でした(^0^)



当分かかりそうなので、「揚州八怪記念館」に先に行くことにしました。ぶらぶらゆっくり歩いて、10分弱で揚州八怪記念館に着きました。台湾系の団体客がドッといました。


 
      入場券、25元(約400円)で中に入りました。



つづく



                    鍛冶屋 

                    佐藤栄登志ノミ製作所
                           佐藤 亘



2008年10月08日



* 写真は、大明寺の入場券、45元(約720円)です。



日本にゆかりの有る「鑑真和上」は、私が中高校生の頃は写真入りで、歴史の教科書に大きく取り上げられていましたね。




        4月10日(木) 午前7時半 起床朝食


               8時準備  

             8時半 ホテル出発


出掛けに、ホテルのフロントで隋の煬帝陵への行き方を教えてもらいました。昨晩確認しておいた「史公祠」のバス停着。


8時45分 「游1w」のバスで「大明寺」へ、バス代は紹興と同じく1元(約16円)です。降車地の「平山堂停車場」着8時57分。


すぐ目の前の丘陵が「観音山」というお寺が有り、そこが唐代の揚州城の遺跡だったそうです。今回は、時間がないので出土文物を見れませんが、次回チャンスが有りましたら拝見したいですね。


右手に観音山を見ながら、10分ほど歩くと「痩西湖」が左に見えてきました。ここは、午後の予定でしたので、雰囲気を楽しみながら数分歩くと露店が見えてきました。そして、チョッと急な参道が有り、大きな門が有りました。


どれくらい歩いたのでしょうか、疲れが溜まっていましたのでヒーヒーいいながらやっと登りました。大明寺入口前で、ふと後ろを見ると、絶景かな絶景かな揚州の旧市街地が一望できます。


              それも
   


          悪天候の予報を裏切って快晴!!


         しばらく見とれていました(^ー^)


おもむろに入場券を買い中へ、先客がいて台湾から来たというかなりの団体さん。お揃いの黄色を基調とした帽子を被っています。

この団体さんとかち合わないように、すり抜けながら見学。鑑真和上に関するものは、通常の観光コースでは見れないようです。日本の仏教界が寄進した記念碑などが、寂しそうに有ります。


たぶん、こんなもんだろうな〜 と思っていましたのでそのまま歩いて奥の方へ、私の大明寺での真の目的は「欧陽脩」でした。


欧陽脩(1007-1072)は、「唐宋八大家」にも選ばれている文人です。バスの停車場の名前だった「平山堂」は、欧陽脩が建てたものです。欧陽脩は、この平山堂で酒を飲み風景を愛で試作にふけったといいます。


      私も、あやかりたいと思ってきたのです(^^)”


台湾の団体さんは、ほとんどここまできません。ガイドさんの声だけが聞こえます。平山堂は、落ち着いた感じで、ひっそりと静まり返り、掃除のおばさんの帚の音がするだけです。


中に入ると、やはり何も有りません といっても過言ではないくらいです(^^)” 正面に欧陽脩の画像がありました。拝んで「少しは漢詩文が上達しますように」とお願いをしてきました。


大体、中国でこんな感じの時は、こっそりと建物を一周してみることをお勧めします。以前、西安の「董仲舒の墓」に行ったことが有るのですが、建物と「墳墓」だけが残されており、祠の中は建築関係の作業場になっていました。作業員に「墓はどこですか」と聞くと、「後ろ」と教えてくれました。行ってみると、董仲舒の墳墓がひんやりとした空気の中にありました。


ふと、祠の方を見ると石碑がいくつも転がるように立てかけたり、寝かせたりしてありました。割れているものも有りました。


       この風景は、非常に悲しくなりました。


こんなことが有りましたので、こういう時は必ず一周することにしています。ほとんどハズレがありません。



          今回も、やっぱりそうでした


石碑が何面か割れたり、欠けたりしたものが平山堂の壁に立てかけてありました。私のメモに「重建平山堂欧陽文忠公祠記」、別の碑には「康煕十四年賜御筆祠額」、「光緒五年己卯十二月既望建」などと整斉な楷書で刻されてありました。


こういう光景を見ると、「俺に1つくれないかな〜」といつも思うのですが、私だけですかね〜 (_ _)


こうして空しい気持ちを抱きつつ、次の目的地、隋の煬帝陵へ行くために大明寺を出発。



         4月10日(木) 午前9時45分



つづく


          刃物を鍛えて160年 えいとしノミ製作所
                           佐藤 亘



2008年10月06日



* 写真は、揚州賓館についていた「シール」です(^0^)


どうも,こういうのがついていると得した感がありますよね(^^)




        午後10時30分 夜の散歩へ


冷えた瓶ビールと、ゆで卵などをつまみにしながら大体の感じがつかめてきたので,思い切って夜の散歩へ GOー


揚州の旧市街は、そんなに大きくないようです。正味3日あれば、歩いたりバスを使って気楽に回れそうです。


           レンタル自転車は?


と思いましたが、11日の午前10時半にはチェックアウトをしなければならないので、今回はレンタル自転車を探すのはあきらめました(_ _)


そうすると、明日10日の一日だけでほとんど回らないと行けません。そう思うと、けっこうきついですよね(^^)”


それで、バス停のチェックをかねて、ホテルの周りを散歩がてら歩いてこようというわけです。まず、さっきビールを買ったコンビニの右隣にミニスーパーがありました。ここもひょっとすると24時間営業かもしれません。タクシーでホテルに入る前に「揚州文物商店」と「古籍書店」を見つけていました。これを探すと、運良くコンビニの数件左隣でした。


「揚州文物商店」と「古籍書店」は、今回も重要な目的の1つです。


ホテルを出て運河を渡り、ほぼ正面がコンビニです。左側に歩いていくと、早速バス停がありました。バス停の名前は「史公祠」です。これは,最先いいぞ! と歩いていくと5分ほどで、大きな十字路があり「でかい道路標識」がありました。その標識には、このまままっすぐ行くと右側に「个園」があり、左側に「揚州八怪記念館」があると書いてあります。


よしよし と1人つぶやきながら大きな十字路を左に曲がり進みます。夜店があったら何か買おうと思っていましたが、どこも店じまいをやっています。まぁ、11時少し前ですからね〜


そのまま歩いていくと、建物から若い女性が1人出てきました。ほんの数歩前を歩いているので,つい見るとはなしに彼女の後ろ姿を見ながら歩きます。お顔は拝見できませんでしたが、長い黒髪をなびかせた、なかなかのプロポーションです(^^)”私の卒論を担当していただいた,吉田富夫名誉教授の訳された本に『豊乳肥臀』というのがあります。文革終了後、しばらくの間は「肥臀」だけで良かったそうですが,この10年くらいは『豊乳肥臀』でないとダメらしいです。


            ん〜 納得!


そういえば、上海と紹興でウインドウショッピングをしながら歩いていると、女性の下着売り場は日本と大差ない様な気がします(^ー^)



さて、次の大きな10字路で左に曲がろうと思い信号を待っていると、彼女も同じ方向に行くらしく,チョッと止ったかに見えたのですが、赤信号なのに平気で渡っていきます。


           流石 中国だ!



私も、マネをして左右を確認して赤で渡ってしまいました(^^)”


数分歩くと,彼女は左側のディスコみたいな店へ入っていきました。彼女がドアを開けた瞬間,にぎやかな音が聞こえてきました。

周りを見ると、若い女性や子供連れの親子がこの時間帯でも歩いたり,自転車に乗ったり,バイクに3人乗りでスーッと追い越していきます。前にも書きましたが、こっちのバイクは電動というかバッテリーで走るのか分かりませんが「音無し」で動くので,けっこう危ないです。


そうこうしているうちに、また大きな十字路に出ましてので左に曲がりました。数分すると、夜店が何店か営業していました。なんだか分かりませんが良い匂いがします。時計を見ると11時10分です。残念ですが,諦めてホテルに戻ることにしました。



         明日は,強行軍ですからね(^ー^)



運河のところにきましたので,運河沿いに左へ曲がってホテルにかえりました。この運河は、「古運河」らしいです。よく観光パンフレットに載っている様な悠揚たる風情があります。


古運河は、中国風ライトアップ(電灯ですが、赤い提灯)が連なっていて、楊柳と岩石が水面に映ってとても綺麗です。


チョッと岸辺を歩いてみようかと思って数歩歩きかけた瞬間、ガサガサッと音がします。よく見るとアベックがいっぱいいるではありませんか!



          これは,失礼 m(_ _)m


と慌てて元の通りに戻り、皆さんお幸せにと願いつつホテルに戻りました。


           ホテル着 11時25分


519号室に戻り,風呂に入り、ビールとゆで卵に中国風ジャーキーをかじりながら,明日の予定を決めて寝る。



      今日は,一日列車移動でけっこう疲れました。



             おやすみなさい…


つづく


              印刀 刻書ノミ 大工用のみ
                    佐藤栄登志ノミ製作所

                        五代 佐藤 亘



2008年10月04日


* 写真は,夜中の散歩途中「揚州賓館」の近くのコンビニで買った地図5元(約80円)です。


今回の旅行では,コンビニのお世話になりました(^0^)
日本と同じ感覚ですね  便利便利(^ー^)





         午後8時14分 揚州駅着 


ホームに降り立つと、とにかくだだっ広い、けっこう大勢の人が降りて駅出口に向かっているはずなのですが,寒いし夜のせいでなおさら閑散として感じます。



         一歩外に出て驚きました!



なんか、飛行場のような雰囲気ですね。1階が出口で,2階が入口になっています。完成してから、そんなに長い時間は経過していないようです。


実際、私が日本で調べた資料が古かったせいか、アチャッ 予定と違うぞ〜 と思いながらタクシー乗り場へ行こうとしました。



すると、向こうから集団で近づいてくる黒い人々がいます。暗くてよく分からなかったので,避けてタクシー乗り場に行こうと思い歩き出すと、20代後半のお兄ちゃんが「どこまで?」と声をかけてきます。



        「 私は,この集団ヤバいかも〜 」


と思い込んじゃいましたので,何を言われているか分かりませんでした。何回か聞いていると、「タクシーどう、どこまで?」と言っていました。


      な〜〜〜んだ  タクシーの運ちゃんか(^^)”


どっちみち,日本で調べた場所と違っているし、何とかなるだろうと思い「揚州賓館までだけどいい」と私が言うと、運ちゃんはニコニコしながら「こっちこっち」と言って荷物を持ってくれました。


運ちゃんの車に乗ったけど、前が詰まっていて動けません。どうやら、「集団で近づいてくる黒い人々」は全員タクシーの運ちゃんでした。タクシーに乗る人間が、ザッと2〜30人。「集団で近づいてくる黒い人々」が、ザッと5〜60人以上。


という訳で、私を乗せた20代後半のお兄ちゃん運転手は、タバコに火をつけ大きく一服すると、チョッとバックしてから、やおら一段高い歩道の上に上がり一気に加速しました。これを見た,他の車も一斉に方向を変えて歩道の上に上がり一気に加速!!


やっぱり,これが中国だぜ〜と思わず笑みがこぼれました(^^)


       午後8時40分 揚州賓館着


タクシー代22、2元(約360円)は、約20分乗ったことを考えれば安い。今の中国のタクシーは,ちゃんとメーターを立てて走るので安心ですよ(^0^)


さて、運河の支線沿いに有る風雅な建物、といえば聞こえはいいが要するに古い建物ですね。チェックインでお決まりの「身代金(ヤージン)百元(1600円)」を払って部屋に入る。


         部屋は、519号室


タクシーから見えた、ホテルのすぐ近くのコンビニに直行し、「地図、大瓶ビール2本、ゆでたまご、」などを購入して13元(約210円)だから安い(^0^)

いったんホテルに戻り,購入した地図で夜の散歩コースを確認しながら冷えたビールをゴクリ。部屋は,エアコンがついていたので助かりました。



       午後10時30分 夜の散歩へ



つづく

                  佐藤栄登志のみ製作所
                    印刀 刻字用ノミ

                           佐藤 亘


2008年10月02日


* 写真は、上海発揚州行きの車内販売で買って食べた、熱々のお弁当についていた割り箸の袋です(^0^)



         「T 782次」は



     4月9日(水) 午後2時37分 2分早く発車


周りを見ると、この2号車の乗客はナント4人 ガラガラ(^^)”

私の隣に座っているのが、母娘2人でお母さんが「おばちゃん」ですこぶる陽気で元気がよい。娘さんは、30にはとどかないかな〜 そして私の後ろが、ビシッとスーツで身を固めた大学でのバリバリのビジネスマン…と思われる30前後の男性。


       午後3時24分 蘇州駅着 3時26分発


今日はけっこう寒い、長袖にもう一枚着ないと寒いほど。車内販売のお姉さんが、冷たい飲物を一杯持って売りにくる。当然4人は、寒いので何も買わない。


       午後3時52分 無錫駅着 3時54分発



チョッと見関西系のおばちゃんが、女性の車掌さんに「寒いんだけどエアコン消してくれない」と言ったのだと思う。しばらくしたら少しだけ室温が上がった。


           でもまだ寒い(_ _)


        午後4時20分 常州駅着 4時23分発


再度、車内販売の小姐が「アイスクリームはいかがですか〜」と来るが誰も何も買わない。すると、おばちゃんが一言「こんなに寒いのにアイス!」と言ったのではないかと思います。私も同感(^^)”


後ろのバリバリのビジネスマンは、盛んにパソコンをしているが、まだ機種に慣れていないようだ。『ピーッ』という警告音が盛んになるのです。チラッと後ろを見てみると「DEL」のパソコンでした。私も最近購入したのですが、やたら『ピーッ』という警告音が鳴るんですよね。購入先の方にお願いして、やっと警告音が鳴らなくなりました(^ー^)


その音が気になったのか、おばちゃんが「あんた何処から来たの仕事?」と、聞きます。この時は、標準語だったのでなんとか聞き取れました。バリバリは、「北京から、仕事です」と答えていました。流石におばちゃんはこれで終わらない、「どこまでいくの」バリバリは、「揚州まで」と、おばちゃんは「おんなじね〜」と私の方を見ながら答えます。目線があったので、「私も一緒です」と答えると、おばちゃんは「あんた韓国人?」と聞いてきます。「いいえ日本人です」と答えると娘に向かって「日本人だって」といいます。


と、ここでバリバリが電話に出ました。どうも揚州の関係者と話しているらしいのですが、「到着時間が違う」ので怒っているようです。


         午後5時44分 鎮江駅着 5時47分発


最初は、何回もきていた車内販売の小姐がパタッと来なくなって久しい。ちょうど通りかかった女性の車掌に「なんで車内販売が来ないのよう、みんなお腹が空いて困ってんのよう」と言ったように…




        いや〜 どこの国も「おばちゃんはスゴイ!!」


5時50分に「現在、車内販売再開の準備中」と車内アナウンスが入りました。


すると、おばちゃんは私の方を向いて「私が言ったからよ〜」と手を叩きながら笑顔で言います。私も「そうですね」と手を叩いて笑いました。



               ここで恐るべきことが



5時57分に車内販売の小姐が、食堂車で作ったばかりだという「熱々弁当」を4つだけ持って売りにきた。思わずおばちゃんと目を合わせてしまいました。おばちゃんが2つ、私が1つ買いました。バリバリは、何かゴチョゴチョ言っています。すると、直ぐにカップラーメンを持った別の小姐(高校生くらいに見えますね)がきました。


NHKでやった、関口さんの中国列車の旅に出てきた辛口ラーメンでした。すると、直ぐに別の小姐(中学生くらいに見えます)が、大きなヤカンにお湯を一杯入れてやってきて、バリバリのカップ麺にお湯を注いでくれました。


       私は、おばちゃんに「謝謝」といって食べました。


私が食べたお弁当は、日本のコンビニのお弁当の様な容器に入っていて、「目玉焼き、焼肉(牛の大三枚)、キュウリと卵の炒め物、もやしのおひたし、ひじきみたいなやつのおひたし」というおかずで、ご飯はたっぷり目でした。チョッと塩加減がきつかったけど、寒かったせいもあり本当に美味しくいただきました。


そうそう、このお弁当は「包飯(バオファン)」というのだそうで、1つ15元(240円)でした。チョッと高いような気もしますが、あのボリュームを考えれば安いかもしれませんね(^^)


そういえば、日が暮れるまでは「菜の花の絨毯」が敷き詰められたように「真っ黄色」でした。


        午後7時15分 六合駅着 7時20分発



        午後7時41分 儀征駅着 7時50分発


            午後8時14分 揚州駅着 


10分遅れでしたが、無事今回の目的地の1つ揚州に着きました(^ー^)



つづく


                   刻字用ノミ 印刀 篆刻刀

                        佐藤栄登志ノミ製作所
                               佐藤 亘


2008年09月30日


* 写真が、上海駅発揚州行きのチケットです。「T 782次」で97元(約1550円)ですが、日本の近ツーに頼みましたのでね〜 ???





     4月9日(水) 11時11分 定刻発車


       T770次 新空調二等軟座特快 



         午後1時45分 上海駅着


「揚州行き」の切符を持ちながら、ホームに降り「揚州行き」のホームは何番月台(ホーム)かな〜 と思ってキョロキョロしていると、「しまった!!! ホームには誰もいなくなるんだった!」と思ったが後の祭り。冷や汗が、体中を流れていく感じがしました。人並みに飲まれながらも気を取り直し、地下通路の壁に張り付き深呼吸をして再度周りを見回すと、人の流れが一方向にしか動かない。


出口まで行って駅員に聞こう! と意を決して歩き始めました。出口についたが、ものすごい人ごみで駅員に聞くどころではありません。ふと見ると、掃除のおばさんがいたので「すみません、この列車に乗りたいのですが…」と切符を見せながらいうと、おばさんは時計を見て「時間がないから、早く外に出て入り直しなさい」と身振り手振りを交えて教えてくれました。



中国の列車の旅で乗換は初めてだったので、「いったん外に出る」ということが分からなかったのです(^^)”


改札口を出て時計を見ると、「1時53分」ヤベ〜 2時39分発だ!!急いで上海駅の正面口まで歩き、といっても出口と入口が隣り合わせで良かった(^0^)



上海駅内には、一次チェックが有り切符を持っていないと入れない。中に入った瞬間、レントゲン荷物検査。チョッとした空港並の検査方式。

検査が終わると、エスカレーターで2階に上がる。エスカレーターに乗りながら、左右の電光掲示板で「 T 782次 」を探す。7番待合室だ!一度通った通路だったので、中国人をかき分けて強引に進む。掲示版の指示に従って、直進すると7番待合室があった。


通路を挟んで右側が、「軟座車 (グリーン車)」左側が「硬座車 (普通車)」の待合室だったと思う。やっぱり、チョッとした体育館ほどの広さで、改札口がいくつかある。各改札口の上に電光掲示板が有り、行き先と改札時間が表示されている。



  
      7番待合室着 午後1時58分 セーフ(^ー^)


フ〜と大きく息を吐きながらトイレへ、荷物はどうにでもなれ!
という感じ。


        トイレから戻った直後 午後2時改札開始



どっちみち指定席だしゆっくりでいいや、と最後の方で改札口を出る。今度は「10月台(10番ホーム)」だそうで、2号車51番座席の窓側でした。座席に座ったらけっこう高級感の有る列車装備でした。



            午後2時37分


なんと定刻より、「2分早く発車!」 エ〜〜ッ うそ〜〜
と思いながら、やっぱり中国だな〜と納得。


周りを見ると、この2号車の乗客はナント4人 ガラガラ(^^)”


ここから、揚州までの珍道中がはじまったのです (^0^)



つづく

印刀 刻書ノミ

栄としのみ製作所 佐藤 亘   


2008年09月21日



*  写真上段が、紹興駅から上海駅までのチケットです。


切符には、「T770次 新空調二等軟座特快 61元(千円弱)」と書かれてある。日本の旅行社に依頼してありますのでね〜 かなりするんでしょうね(^^)”



    ニンポー発上海行きで、3号車の66番座席です。




    4月9日(水) 午前7時 モーニングコールで起床


           8時15分 朝食


祁グループの先生方と挨拶を交わしながら、名残惜しい気がする。別れ際に、祁先生から「一緒に杭州(広州?)へ行って、詩書画篆刻をして遊ばない。」と誘っていただきました。嬉しかったですが、今回の旅行のもう一つの目的地「揚州」が待っているので、ご丁重にお断りさせていただきました。


            9時 出発準備


          10時 チェックアウト


        ここでまたもや問題発生(^^)” 



チェックインをした時に支払った「ヤージン(保証金)の領収書」が見つかりません。200元(約3200円)なので、荷物をひっくり返して探そうかと思いましたが、パッと何処に片付けたか浮かびませんでした。


そこで、諦めようと思った時に劉暁瑜先生と通訳の朱さんが助けて下さいました。初めて分かりましたが、「専用の提出用紙」が準備されていたのです。当然、日本のホテルであればフロントの方で用紙を渡してくれるのでしょうが、そこは中国ですのでこちらから言わないと用紙を出してくれません。


手続きとしては、「パスポートを提示して用紙を受け取り、用紙に必要事項を記入すればOKです。」(^0^)


劉暁瑜先生と通訳の朱さんにお礼を言って、お金を返金してもらいました。


なんだかんだでタクシーで紹興駅に着いたのが 10時20分。
駅のコンビニで、水とパンを2つ買って5.7元(約90円)。



           10時55分 改札


          11時11分 定刻で発車




   いよいよ、想い出多い 紹興蘭亭 とお別れである(^^)



つづく


                    えいとしノミ製作所

                          佐藤 亘





2008年09月17日



* 写真は、今朝(4月8日)参加者に渡されたらしい名簿の表紙です。




私は、どういう訳かもらっていなかったので、帰国後北京の荒金治さんにお願いして送っていただきました。

最近、個人情報がどうのこうのと言われていますので、中身の方は載せませんが、参加者の肩書きはスゴイですね!

ちなみに私の肩書きは「日本新潟 以文書法会主宰」となっていました。この以文書法会は、会員数ゼロで私の中国旅行用名刺に刷ってあるだけです。まぁ、個人的には「嵐城吟社同人 幹事」にしてほしかったところですが…(_ _)




    「咸享楼」(シエンホンロウ)の紹興酒は絶品です!!


きっと、紹興出身の王継安先生がお手配下さったのでしょう(^0^)

この紹興酒の味は、「今まで飲んでいた紹興酒は紹興酒じゃ〜ない!!」と思わず口から出てしまったほどです。私の左隣が王継安先生でしたので、「この紹興酒は特別ですか」とお聞きしますと「そうですね」と答えて下さいました。

すると王継安先生は私に、「どうですか美味しいですか」と尋ねられました。「今まで飲んでいた紹興酒は紹興酒じゃありませんね!」と申し上げると、ニコニコされながら私と乾杯をして下さいました。


そして、「これは、紹興の名物料理です」と私の前に置いて下さったのが、一番気に入った料理? でした(^_^)

それは、透明なガラスの器に茶色い液体に漬かっている小エビでした。すると、すかさず祁先生が「丸ごと口に入れて、エビの中身だけ食べて殻を出して食べるんですね〜」と言って下さったので、興味津々で一匹口の中に頬張りました。



             んん!!


             うまい!


       と、つい言ってしまいました(^0^)



王継安先生は、「みんな一杯食べたから全部食べていいですよ」と更にニコニコされて仰って下さいました。


      これがまた、本当に美味いんですって(^^)”


どなたが教えて下さったか忘れましたが、茶色い液体は「紹興酒」だそうで、その中に生きた小エビをドッと入れるだけなんだそうです。私は、1時間以上遅れて到着しましたので、現場?を見ていませんが、生きたままのエビは、透明なのだそうです。元気の良いエビが紹興酒の海の中で泳ぎ回る?というかなんというか、みるみるうちにエビが紹興酒色に染まって来るのだそうです。そしたら食べごろなんだそうです。

新鮮なエビの甘みに、本当に美味しい紹興酒の海で泳いだエビ自体に紹興酒がプラスされていますのでね〜


いや〜美味いのなんのって、20匹以上食べた気がします(^^)”


その分、酔いも一段と早くなった様な気がします。さて、この料理の正式名称は何だろうと思い王継安先生にお聞きしますと



           ズイシア
          < 酔 蝦 >



というのだそうです。これは、本当に美味しいですので紹興に行かれる時は、是が非にでも食べてみて下さい。



さて、私は完全に酔っぱらう前に一言挨拶をさせていただきました。内容は、「今回、祁小春先生から縁をいただいて、先生方とお会いすることができて本当に感謝申し上げます。私は、自作の詩を甲骨で書くことを長年やってきました。日本では、残念ながらほとんど認められませんでした。今日、蘭亭で書かせて頂きましたところ、任平先生、王継安先生、劉暁瑜先生、祁小春先生、そして林田暁径先生に認めていただき本当に嬉しかったです。この場を借りて、皆様方に心より感謝申し上げます。」で、祁小春先生が通訳して下さいました。


じつは、こっから先はどうなったかあまり覚えていないのです(^^)”


帰りにタクシーがつかまらず、全員で歩いて帰った様な気がします〜 


            たぶん…


  こうして、気がつくと4月9日(水)の朝になっていました。




つづく

佐藤栄登志ノミ製作所

佐藤 亘










2008年09月13日


* 写真は、昨年いただいた祁小春先生の半切横作品です。

祁小春先生は、一緒にいる人を楽しく愉快にさせてくれる先生です(^_^)

しかし、筆を持たれると一変されるようですね。





        午後7時15分頃  乾杯




「咸享楼の2階の部屋に着いたとたん、ホッとして涙が出そうになりました。1時間以上遅れて着いた私を、皆さん本当に心配して下さり、再度涙が出そうになりました。」


        と、前回書きました


      これを読んだ カミさんが一言


     「まぁ、慣れた頃に失敗するもんよ」


            たしかに


      この日は、緊張し続けていたのでね〜 

        よほど疲れていたんですね! 


    今思えば、考えられないヘマだったですね(_ _)



乾杯がすんで、皆さんから「心配していたんですよ!」とうかがい、改めて反省(_ _)


中でも、祁グループ中国人担当の通訳さん(女性、名前は忘れました)は、私があまりにも遅いので、事故に会ったのではないかということで、何回もホテルに電話をして下さったそうです。




            しかし



      「咸享楼」の紹興酒は絶品です!!


今回の料理は、紹興出身の王継安先生がお手配下さったそうです(^0^)


    次回は、私が特に気に入った料理をご紹介しましょう。



つづく


えいとし  佐藤 亘












    
2008年09月10日


* 写真は、魯迅記念館のパンフレットの裏面です。魯迅記念館に展示されている資料の一部が、多数カラー印刷されてあります。



      4月8日(火)午後5時30分


    部屋を出て、ホテル前のタクシー乗り場へ直行!


今思えば、ホテル付きのタクシーなんだから多少高いのは当たり前ですよね! バスで1元(約16円)で行けるところを、運転手さんは「35元(約560円)」だと言います。「そんなに高いなら、バスで行くよ」といってバス停の方に行きました。


「咸享楼」は、昨日看板を見た記憶がありましたので、楽勝だな。と考えていたのです…


魯迅記念館のすぐ近くだったな〜と思って、7番のバスを待ちました。ふと、アッそうだ、日本と逆だから反対側のバス亭だ!



       これがまずかった(_ _)


魔が差したんですね。たしかに着くことは着くのですが、逆回りの7番のバスでしたので、10分ほどで魯迅記念館前に着くはずが、約1時間コースです。しまった!!と思いましたが後の祭り。


   知っている所が来るまで、諦めて乗ることにしました。


午後6時15分ころ、見かけた通りに出ましたので降りました。バス停で行き先を確認すると、他の番号のバスでは魯迅記念館前に着きません。情けないことに、あのまま7番のバスに乗っていれば、もう5分ほどで着いたのです。


しかたなく、タクシーをひろい魯迅記念館前まで行きました。すでに6時25分を回っていました。お店は、ほとんど閉まっていました。昼間とイメージが全く違い、結局迷ってしまったのです。


        うろうろ歩き回ること、およそ30分


やっと目的地の「咸享楼」を発見しました。何のことはない、タクシーを降りた場所のすぐ横の道を歩いていけば1分で着いたのです(_ _)


「咸享楼」の2階の部屋に着いたとたん、ホッとして涙が出そうになりました。1時間以上遅れて着いた私を、皆さん本当に心配して下さり、再度涙が出そうになりました。


というわけで、最初からホテル付きのタクシーを使えば良かったんですよね〜  


     時計を見ると、午後7時を少し回っていました

 

          反省 m(_ _)m




つづく


佐藤栄とし鑿製作所
佐藤 亘


2008年09月03日
* 写真は、夕食のチケットです。


「第二十四届蘭亭書法節 自助餐券」4月8日(火)午後5時〜6時30分 王朝大酒店二階王朝廰と印刷されてあり、「第二十四届蘭亭書法節組委会」の印が押してあります。

裏面には、日本語とハングルで同様に書いてあります。「自助餐券」は、バイキングのことですね(^^)



        4月8日(火)午後5時25分


ア〜ッ、やっと終わった とお茶を飲みながら部屋で横になり、写真の「自助餐券」を見ていると、突然電話が鳴りました。



私が、中国旅行でなるべくしたくないのが「料理の注文」と、「電話」です。ビクッとして電話に出ると、祁小春先生でした。祁先生方は、魯迅記念館のところで分かれて別行動されていました。


電話の内容は、「今、皆で宴会を始めたから、今直ぐ「咸享楼」に来ないか。」ということでした。私は、「荒金さんご夫婦には、連絡されましたか。」とお聞きしますと、「新婚さんの邪魔をするのは、どうですかね〜」と祁先生に言われ、それもそうだと思い、「それでは、直ぐに準備して伺います。」と言って、電話を切りました。



            ここから



     体力と気力を使い果たす流浪の旅が始まるのです…



つづく

栄としノミ製作所
佐藤 亘



2008年08月29日


* 写真は、『天天商報』紙に取り上げられた「魯迅手跡珍品展」の記事です。




     4月8日(火)午後3時 魯迅記念館見学



開幕式が粛々と進み、魯迅のご子息の挨拶になりました。すると、参列者が少しづつ前の方へ移動していきます。やはり「魯迅」という名前は、中国人にとっては非常に大きなお名前なんですね(^^)


声の調子は、穏やかなゆったりとした雰囲気で話されていましたが、内容はよく分かりませんでした(_ _)


今思えば、同じホテルで何回かすれちがっているので、やっぱりサインをもらっておけば良かったですね。ん〜 ざんねん(^0^)


そうこうしているうちに、テープカットも終わり順番に「魯迅手跡珍品展」会場へ入ります。


私は前日、他の展示スペースは観ているので、観客が少なくなるまで待ちつつ「魯迅手跡珍品展」を何回か見直しました。


すると、荒金治さんが「佐藤さん、地元の新聞社の方なんですが、魯迅の書についてどう思うか。と言っているんですが…。私が通訳しますから、一緒に答えてもらえませんか。」と、声をかけてきました。


私は、佛教大学で教わったり「魯迅の書」には、前から興味が有りましたので、「荒金さんと一緒ならいいですよ」と言ってインタビューを受けました。たしか「魯迅の書についてどう思うか」と、荒金さんが通訳されたように思います。


けっこう長い記事ですので、一部ですがペーストしました。


<鲁迅的书艺>

 「 作为一个文化人的墨迹,鲁迅列为兰亭书法节专题展览有人心存“价值怀疑”,但更多到过现场观看的人,则以为“不是一般的好”。到底怎么来看鲁迅的书法,水平达到怎样的程度?估计很难有一个“标准鉴定”,但从现场观众还有历史上的反应来看,鲁书确乎位居大师之列。

  日本书法家佐藤海山第一个感觉就说字的水平很高。“有一种古典文献的味道”,他说在日本这种风格是最受欢迎的。“真难想像在那个动乱时期,鲁迅还写出这么好的书法作品,真很难得!”…以下略。」

 

私の中国語力で不安ですが、大意を訳してみましょう(間違っていたら、ごめんなさい)



<魯迅の書芸>

魯迅という文化人の墨跡が、蘭亭書法節という特定のテーマに列せられ展覧されているのは、人心に「価値懐疑」を起こさせる。しかし、更に多くの観客がやってくるのは、「悪いことではなく、一般的に好い」ことだ。つまり、どうして魯迅の書道を観に来るのか、魯迅のレベルがどの程度に達しているのか?「標準鑑定」を推量するのは難しい。しかし、来場している観衆はまだ歴史上の反応から観に来ている。魯迅の書を、大御所として確乎たる位置にしなけらばならない。


日本の書道家佐藤海山は第一印象として、まさしく書のレベルが高いと言う。「一種古典文献の味わいがあります。」彼は、日本ではこの種の風格は最も歓迎されると話す。「実際困難なあの動乱の時期を想像すれば、魯迅がこのような素晴らしい書道の作品を書いたというのは、本当に得難いものだ。」…以下略。


確かに、このようなことを言ったと思いますが、荒金さんが上手にフォローして通訳して下さったおかげですね!


          感謝感謝 m(^^)m


館内のビデオで「阿Q正伝」を立ち見して、時間になるのを待っていました。参加者が戻ってこられたので、いったん外へ出ました。

      やっぱり、昨日見ておいて正解でした(^^)


もう少し、集合時間まで時間があるので、各自「三味書屋」など魯迅関連施設を見学されていました。私は疲れたので、通訳の朱さんたちと集合場所前の椅子に座って待っていました。それにしても、朱さんの日本語はお上手です。私よりも品が良いです…(^^)”


集合時間の5時になり、別行動される祁先生や林田先生ご一行を残してバスに乗り、紹興王朝飯店に5時10分過ぎに到着。


      荒金さんご夫婦と、夕食でまた会いましょう。



       と言って部屋着  5時15分



つづく

佐藤のみ

佐藤 亘


2008年08月26日

* 写真は、魯迅記念館が今回の蘭亭書法節に合わせて企画された、特別展示「魯迅筆跡珍品展」の様子です。




    4月8日(火)午後2時45分 魯迅記念館到着


「貴賓証をお願いしま〜す」という朱さんの声に、一同貴賓証の装着完了(^^)



   先頭に続いて、ゾロゾロと○○の糞状態です(^^)”



入り口から少し歩いて「魯迅記念館」に到着しました。貴賓証のチェックを受けて前庭に出ると、「魯迅筆跡珍品展開幕式」(正式名称忘れました)という横断幕。正面玄関に向かって左側に「揮毫所」がありました。


流れに従って順番に書いていきます。比較的大きな画帳で、私の前の中国人の方が左側の面に書かれました。日本風に考えれば残りの余白に十分書けたのですが、相手の方の雰囲気を壊してしまうと思い、思い切って1ページめくって右側の最初に堂々と? 「佐藤海山」と書かせてもらいました。私の次が劉暁瑜先生、その次が任平先生、王継安先生と書かれました。


三先生も、私と同様に前後左右の余白を取り、前の人の邪魔にならないように書かれていましたので、ホッと一安心でした(^_^)


折角の機会ですので、劉暁瑜先生に「このような場合、ルールのようなものはありますか?」とお聞きしますと、「特にないと思いますよ。」とのことでした。


揮毫が終わると、各自にミネラルウオーターが手渡されました。飲みながら木陰で待っていると、いよいよ開幕式の始まりです。


蘭亭書法節の時よりかなり減りましたが、マスコミ各社が前に陣取り、盛んにフラッシュを焚いています。私も直ぐに分かったのですが、「魯迅のご子息」がいらっしゃったのです。



つづく



印刀、刻字用ノミ制作
えいとしノミ製作所 

     佐藤 亘


2008年08月21日

* 写真は、「魯迅記念館」のパンフレットです。


私が、書道や漢詩を習い始めたころは、「魯迅」という名前しか知りませんでした。たしか〜 中学か高校の国語の教科書に載っていたような気がします…


今も懲りずに通っている「仏教大学(通信)中国学科」で、吉田富夫名誉教授や他の先生方の授業で教わり、少しずつ分かるようになりました。


2番目の子が仙台の大学に入学しました時、カミさんと2人で大学構内に有る記念館の資料展示室で、魯迅の成績表や藤野先生の写真等を見ました。


そういえば、「階段教室」がそのまま保存されていました。鍵がかかっており、窓の外からしか見れませんでしたが、大学にお願いすれば拝見できたのかもしれませんね。






そういえば、昼食会場は関係者でごったがえしていました(^^)


     部屋に戻って、シャワーを浴びて一服


    テレビを見ながら、ベッドで横になりました。



            気がつくと


           午後2時20分



         慌てて着替えてロビーへ直行!


        今回も、ギリギリセーフ(^0^)



4月8日(火)午後2時30分、祁グループはバスに乗車、関係者全員がそろったところで出発。魯迅記念館は、昨日レンターサイクルで行った場所なので15分弱で到着するだろう、と思っていましたら正にその通りでした。



つづく



のみ鍛冶 佐藤



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