5代目栄登志(えいとし)が一本一本鍛える本手打ちの印刀・鑿(ノミ)!!
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栄とし覚え書き(日記):225
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2008年08月18日

*  写真は、中国人の先生(氏名不詳)が「流觴曲水」で作った詩を流觴亭で画仙紙に書かれているところです。




      4月8日(火)午前11時55分ころ


すでに、外に出られて談笑されている先生方もいらっしゃいます。


私は、「あ〜、やっと終わった」と思いながら観客席との境目の垣根を通り過ぎました。


             すると


        入場する時には分からなかった? 



       それとも、緊張していて見えなかった?


流觴亭の前と流觴亭に、なんと「揮毫場所」が設定されているではないですか!



           エッ また書くの!?


  と、思いつつ係りの方に案内されて流觴亭に移動しました。



私は、写真の先生(たぶん、この先生だったような…)が書き終わられた後に書かせて頂きました。左隣は、確か林田暁径先生だったと思います。林田先生は、サラサラッと草書で一気に書かれて、場所を空けられました。


      私は、楷書でを書かせて頂きました。


書いている途中で、皆さんいなくなり始めましたので、内心焦りましたね! (^^)”


      今回も、私が最後でした(_ _)”


それでも、多くの中国人の方が私の詩を声を出しながら読んで下さいました。書き上がった時に、品の良い老人が「貴方の詩が気に入りました。私に、その詩を一枚書いてくれないですか」と言われます。


     すると、便乗組が「私にも」と声を出します。



   私は、お世辞100%でも本当に嬉しかったです(^0^)


しかし、その時すでに、祁グループ担当通訳の朱さんが「佐藤さん、まだ終わりませんか? もう、皆さん行かれましたよ!」と言われていましたので、ご老人に「すみません、時間がありません。」と言って謝りました。


するとご老人は「それじゃ、これに名前を書いて下さい。」と、ご自身の手帳(のような感じ)を出されました。私は、承知してお借りした万年筆(ボールペンだったかな)で、「日時 日本国 新潟県 以文書法会 佐藤 海山」と書き、もう一度「時間がなくてすみません」と言って、その場を立ち去りました。


ふと、周りを見ると関係者の方が書かれた作品を流觴亭に掲示したり、揮毫場所の後始末を始められていました。



           ふ〜、やっと終わった



と思った瞬間、朱さんに「早く追いつきましょう」と急かされ、急ぎ足で歩き始めました。


やっと、祁グループに追いつき、お借りした「中国人用衣装」をお返しし歩き始めると、ブレザーまで汗びっしょりでした。


じつは、ブレザーの上から「中国六朝時代の復元衣装」を着ていました(^^)



            馬鹿ですね〜



どれくらい歩いたのでしょう? 10分位ですかね、ようやく朝乗ってきたバスのところまで辿り着きました。


  帰りの車中では、思い出話に花が咲いていました(^0^)


予定より30分弱ほど後れましたが、無事に紹興王朝飯店に着きました。朝、出かける時とは横断幕(結婚式)が替わっていました。


各自、部屋に戻り小休止をして二階の昼食会場で昼食を済ませました。


      4月8日(火)午後1時30分ころ


            各自休憩 
 


      いや〜、怒濤の半日でした(^^)”




つづく


五代 栄とし

  佐藤 亘


2008年08月11日

* 写真は、「流觴曲水」で私が、自作詩を中国語で発表しているところです(^^)”



      私の自作漢詩は、「曲水偶吟」です。





      4月8日(火)午前11時45分ころ




そうこうしているうちに、今日のイベントで司会をされている男性アナウンサーらしき方が、私のところへきて声をかけます。



男性司会者は、「名前と国籍と、書いた詩を確認」しました。非常に綺麗な中国語でしたので、私は「私は中国語の初心者です。すみませんが再度ゆっくりと話して頂けませんか?」と、申し上げますとにこやかに、ゆっくりともう一度話してくれました。


私に、「中国語で簡単な自己紹介をし、詩を読んで下さい。」と男性司会者はいいます。私は、ピンイン(中国語の発音)までは調べてきていませんでした。そこで、男性司会者に「試しに読んでみますので、悪いところを教えて下さい。」とお願いしました。



私が、順番に読んでいくと「醺」の字の発音が分かりません。男性司会者に聞くと、「私も分かりません。適当に読んで下さい。」と言います。



        おいおい、それでいいのかよ〜



            と、思う間もなく



女性司会者が、「さ〜、次は誰ですか〜」男性司会者に声をかけました。



男性司会者は、「こちらは、日本の新潟から来た以文書法会の佐藤海山です。それでは、自作詩を紹介してもらいましょう。」(と、たぶん言ったように思いますが、心臓がパクパクでしたのでね〜)



私は、覚悟を決めて「日本の新潟から来た佐藤海山です。私の中国語と詩は下手ですが、ご勘弁下さい。」と言ってゆっくりと読みました。(私は、超ゆっくり読んだつもりでしたが、実際は緊張しているのでおそらく早かったのだろうと思います。)



それでは、中国語で紹介した「曲水偶吟」です。



         「 曲水偶吟 」

           
 上巳會稽春十分。   上巳の會稽春十分

 聯吟誰與對微醺。   聯吟誰と與に微醺に對せん

 流觴曲水鵞池畔。   流觴曲水鵞池の畔

 毎遇蘭亭便憶君。   毎に蘭亭に遇へば便わち君を憶う

 

【大意】

今日(旧暦)三月三日の會稽は、本当に春爛漫だ。これから行われる詩会では、どこのどなたと一緒に詩を作り酒を飲むのだろうか。流觴曲水の会場は、王羲之が鵞鳥を飼っていたという池のあたりだ。そういえば、いつも蘭亭の叙を臨書すると、王羲之や六朝の風流人のことを想いだすのです。


と、大体こんな感じですね(^^)”



自慢高慢馬鹿のうちと申しますが、読み終えた後「私には、拍手が大きく感じられました。」やっぱり、馬鹿ですね〜(^0^)



つづく


佐藤栄登志ノミ製作所

五代 佐藤 亘(海山)






         
2008年08月08日

* 写真は、流觴曲水での林田暁径先生です。

林田先生の詩をご紹介しましょう。前回紹介し忘れた分も含めてです(^^)”


      「七律蘭亭詩」


 永和情叙日邉開     永和の情叙日邉に開く

 翰墨吟詩坐客杯     翰墨吟詩坐客の杯

 柱二褚臨蘇米跋     柱二は褚臨蘇米の跋

 第三馮搨項元推     第三は馮搨項元の推

 流觴曲水激湍繞     流觴の曲水に激湍繞り

 脩竹茂林琴笛回     脩竹の茂林に琴笛回る

 無主鵞池戯水鳥     主無き鵞池に水鳥戯むる

 羲之俯仰不堪哀     羲之を俯仰すれば哀しみに堪ざらん



       「蘭亭即興二首」 其の一


 指頭象鵞墨如蘭     指頭もて鵞を象どれば墨蘭の如し

 脩竹春風喜交歓     脩竹の春風に交歓を喜こぶ

 一詠一觴勾越地     一詠一觴は勾越の地

 古来劇跡有詩壇     古来の劇跡詩壇に有り



           其の二


 癸丑集亭中日韓     癸丑に亭に集う中日韓

 雨晴佳節萬邦安     雨晴の佳節萬邦安かに

 奏琴吟詠交流宴     琴を奏で吟詠す交流の宴

 畢至文人再拝難     畢く文人至り再拝すること難し



ん〜、陪席させて頂いた私には、林田先生の心情が伝わってきますね(^0^)


    それにしても、林田暁径先生は大したものです。


         脱帽 m(_ _)m




    4月8日(火)午前11時30分ころ



メインサイドが少し静かになりましたので、チョッと眺めると皆さん折り帖に書き始められています。


        お〜っと、俺らもやらねば!


ということで、祁グループのメンバーも一斉に書き始めました。


           私はといえば


       他のメンバーを気にする余裕も無く…


自作の詩を頭に思い浮かべながら、文字の順番を間違わないように気をつけて書き始めました。



            すると


          ボタン! ボタン!


             と


        大きな雨粒が落ちてきました


            なんせ


      筆ペンなので雨粒があたると滲みます



係のおじさんたちが、準備が良いですね! というか慣れているというか、ビーチパラソルの頑丈版を参加者一人一人にさします。


しかし、やっぱりメインサイドからパラソルを準備していきますので、私の番になったときは書き終えていました。


結果は、自分で書いておきながら滲んで読めない字が数字ありました。それでも、土砂降りにならずに直ぐ止んでよかったです(^^)


雨がやんだ頃には、すでにメインサイドの方では順番で発表が続いていました。日本人では、高橋静豪先生が一番最初に発表されましたが、チョッと良く聞き取れませんでした。


しばらくして、林田暁径先生、祁小春先生、赤松錦英女史、吉川珠扇女史、荒金治さんと進み私が最後だったかな?(順番は、チョッと自信ありません)


つづく



佐藤栄としノミ製作所

      佐藤 亘





2008年08月04日
* 写真は、観客サイドからの写真です。


私たち祁グループは奥の方に陣取っています。たしかこの写真は、耿さん(荒金さんの奥様)にとっていただいたものです。


耿さんは、祁グループの一員という特権?を活かし、曲水の中を自由にカメラを持って逍遙していました(^^)


写真の、手前の後ろ向きの方々がほぼ韓国の先生方です。
祁グループの面々は、画面真ん中付近に着席しているのですが…




      4月8日(火)午前11時ころ


          曲水の奥に着席


すると、敦煌の飛天を思わせるような女性たちが優雅に舞い始めました。キョロキョロと物珍しそうに見ていますと、私の担当の小姐がお盆に「おつまみとお酒」だったと思いますが持ってきてくれました。

そうそう、座席には「折り帖と筆ペン」がすでに用意されていました。


メインの韓国代表団の方は、カメラが回りっぱなしでした。


地元放送局の男性と女性アナウンサーだと思うのですが、しきりに何か言って盛り上げています。ざわついていて、私の中国語レベルでは聞き取れません(^^)”



            すると、


    前の「曲水」に、ぷかぷかと何やら流れてきました。


         やたら流れてくるのです


よく見ると、「耳杯」でした。酒を入れて水に浮かぶくらいの落ち着いた感じの器でした。


       ああ、これが「流觴か」と思いました



        自分で勝手に取ってもいいのかな〜


            だめなのかな〜


と思っていましたら、各席の担当の小姐が竹製の「すくい網?」を持って立っています。


ははぁ〜ん、きっと彼女たちが掬って渡してくれるんだろうと思い、勝手に自分から動かないことにしました。


             やっぱり


メインの方に目をやると、彼女たちが掬って渡していました(^0^)


フ〜ン、と思っていると目の前に担当の小姐が立ちました。スッと掬って私の目の前に耳杯を差し出します。


謝謝、と言って受け取り、取り敢えず耳杯を眺めると簡易な作りですが、意外と軽かったです。そして、前々から興味が有った「酒」は、「紹興酒」でした。



        軽く、一息で飲める量ですね


         美味しかったです(^^)




つづく

栄登シノミ製作所
        佐藤 亘


2008年08月01日


* 写真は、韓国代表団の先生が揮毫されているところです。紹興市の地元紙には、現代韓国を代表される超一流が参加されたと書かれています。



          堂々たるものですね。



      4月8日(火)午前10時35分ころ







次の会場へ移動しようとしていましたら、会場の係のお兄ちゃんたち(中学生位)に呼び止められてしまいました。


彼は、「私は、甲骨に興味がある。一枚書いてもらえませんか。」といいます。(実は最初の場所で、可愛い女の子を連れていたお父さんに頼まれて、文句を指定されて一枚書いていました。)



    「まぁ、いいか」と思い、書くことにしました。



甲骨は時間がかかるので、楷書で別の自作詩を書いてあげました。
印を押して、2人目の分を書こうとしたら、


           通訳の朱さんが


「佐藤さん、何をやっているんですか!もう始まりますよ〜!!」


        と、慌てて呼びにこられました。



私は、2人目の子に「ごめんね、時間が無くなりました」といって謝って、急いで「流觴曲水」の場所に行きました。



             すると


すでに全員が着席し終わり、報道関係者のカメラの隊列、司会者2人の甲高い声が響いていました。垣根で区切られた観客席は、押すな押すなのギュウギュウ詰め状態です。


そんな状況の中を、朱さんに、こちらですと人の波をかき分けてやっと自分の場所に到着しました。



      いや〜、予想以上の盛り上がりです(^^)”




つづく


佐藤栄登志のみ製作所

佐藤 亘


2008年07月31日



        < 祝甲子園初出場 >(^0^)





今年の高校野球夏の甲子園に、母校が初出場することになりました(^_^)


初戦は、八月三日(日)の第四試合で、兵庫代表の報徳学園です。
私の時代ですと、報徳学園といえば強豪校!


最近の新潟も関係者の努力で、少しづつ力をつけて全国の強豪たちと互角に近い闘いをできるようになってきました。



   精一杯戦って、ぜひ報徳学園に勝って欲しいものです。



母校の名前は、「新潟県立三条工業高校」といいます。何年くらい前でしょうか、お隣の燕市にある「新潟県立燕工業高校」と合併統合されて『新潟県立県央工業高校』となりました。


合併統合時に私が在籍した「化学工学科」は廃止されてしまいました。そんなこんなで、なんとなく母校が甲子園出場といわれましても、チョッと微妙な感じですね(^^)”


我家の一番下の子と、中学で同級生だった子がキャプテンをやっていたり、お父さんお母さんとは自治会PTAで一緒でしたので、この点では本当に全力を尽くしてほしいと応援しています。


話しは変わりますが、世界の『ジャイアント馬場』の出身校が「新潟県立三条実業高校」でした。今から、約40年ほど前に「県立三条商業高校」と「県立三条工業高校」に分かれたのです。


今朝の「三条新聞」(地方紙)に、ジャイアント馬場のお姉さんの話しとして「弟が元気でいてくれたらどんなにか甲子園出場を喜んだことでしょう」と伝えています。


三条新聞の記事には、ジャイアント馬場が中学時代の写真と、ジャイアンツでピッチャーとして投げている写真が掲載されていました。



ジャイアント馬場が、高校2年でジャイアンツに入団せず、高校三年まで野球をやっていれば…



       そこが、人生の面白いところですかね



         全国の高校球児よ「ガンバレ」



        特に、『県央工業の諸君ガンバレ!!』




つづく

えいとしのみ

佐藤 亘


2008年07月30日


* 写真は、荒金治さんの揮毫風景です。



荒金さんは、私とは反対側に指定された席がありました。素直で実直で「書」のことしか頭に無いような方です。その荒金さんが、いざ筆管を握ると、「静と動」が逆転したかのように一気呵成に書いていらっしゃいました。(書きながら、チラチラと見ていました)


荒金さんが、揮毫された文言は蘇軾(蘇東坡)の詩から選ばれたもので、


 

       「 再游蘭亭  黙数永和 」



です。

記憶違いかもしれませんが、荒金さんは学生時代に弓道をされていたとお聞きしました。「静と動」が逆転して感じたのは、弓道による精神修養のたまものでしょうか(^0^)




     4月8日(火)午前10時35分ころ



私は、ようやく書き終わって周囲を見回すと、全員揮毫はほぼ終了していました。ゆっくりと、掲示されている作品を拝見する時間もなく、次の会場への移動が始まっていました。



そんな訳で、任平先生や王継安先生の作品は拝見できませんでした。(_ _)


赤松錦英女史と吉川珠扇女史は、「緊張しました〜〜〜、全然だめでした〜」と、緊張から解き放された感じで、口を揃えて話していらっしゃいました。


お二方とも和服が非常にお似合いで、中国のカメラマンたちに終始追いかけ回されていました。(^^)



つづく

佐藤栄としノミ製作所

佐藤 亘



2008年07月28日


*  写真は、私が揮毫しているところです(^^)” 




  4月8日(火)午前9時50分ころ 



     自作の拙い七言絶句です。


        お笑い下さい。 



題は、「流觴即事」

   三土騒人会紹興     三土の騒人紹興に会し

   六朝風趣一層登     六朝の風趣の一層を登る

   二千載後流觴宴     二千載後の流觴の宴

   記得詩情玉漏氷     記し得たり詩情玉漏の氷


大意は、


中国と韓国と日本の詩人が、王羲之を慕い紹興に集まった。私の力量では、王羲之等「蘭亭の会」のメンバーの高みに遠く及ばないから、入り口のところで風流のまねごとをさせてもらおう。王羲之等の「蘭亭の会」から、ザッと数えれば約二千年後の流觴の宴だ。王羲之や謝安には遥かに届かないが、今出来た私の詩は清らかで玉壺の氷のようだ。


という内容です。


          お粗末 m(_ _)m



自慢高慢馬鹿のうちと申しますが、日本では、自作の漢詩を甲骨文字で書かれる方はあまりいらっしゃらないようで、先にご紹介させていただいた、任平先生と劉暁瑜先生等から、お褒めの言葉をいただきました。


 特に任平先生は、古代文字の大家でもいらっしゃいますので、お世辞がほとんどだとは思いますが、非常に嬉しかったです。


私が、45分ほどかかりましたので、私が終わったときは祁小春先生は書き終わられていました。きっと、となりで書かれたのでしょう。


マスコミは、私の服装を見て中国人だと思ったらしく、最初は誰も集まりませんでした。しばらくすると、「甲骨を書いているのがいる」という声がしました。


すると、いつの間にかテレビカメラと各新聞社のカメラマンが私を見て、「アッ、日本人」と小声で言いながら写していました。


せっかく、ガムでリラックスしつつあったのに、一瞬で全身から汗が迸るのが分かりました。



          とにかく



    4月8日(火)午前10時35分ころ



 なんとか無事、書き終わりました  フ〜〜(^^)”




つづく


栄登シノミ製作所

佐藤 亘 拝






2008年07月28日

*  写真は、作業中の82の看板娘




 近年の『原材料・燃料他の度重なる値上げ』で、「品質の維持・アフターサービス」が困難になってまいりました。


誠に恐縮に存じますが、本年10月1日より下記のように変更となります。




       1. 『平均5%の値上げ』

       2. 『外税』




と、させていただきます。

これからも、斯界のために研究努力してまいりますので、何卒宜しくお願い申し上げます。


            佐藤栄登志ノミ製作所

                 五代  佐藤 亘 頓首

2008年07月17日


 * 写真は、超リラックスの「佐藤 ツォンランパ ボス」です(^0^)



7月18日(金)〜7月24日(木)まで、お休みとなります。

お問い合せ等、メールの対応は、7月25日(金)以降順次対応させて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。 m(_ _)m


                  佐藤栄としノミ製作所

                   五代   佐藤 亘


2008年07月17日

* 写真は、日本側代表として一番最初に揮毫された林田暁径先生です。慣れていらっしゃるんですね〜、日常と何ら変わらないような感じで、サラサラと揮毫されていました。


    もちろん、林田先生自詠の最新作です(^0^)



           流石ですね!!



         4月8日(火)午前9時


     「第二十四届中国蘭亭書法節」の開幕式開始


中国語、韓国語そして日本語で開会式が進行しますので、時間がかかります(^^)”


          午前9時50分ころ


日中韓の代表者による揮毫が「蘭亭右軍祠」で始まりました。「蘭亭右軍祠」のひな壇は、急にテレビ新聞などマスコミと関係者がドット押し寄せえらいことになっていました。


代表者による揮毫が完成すると、お一人づつ作品の紹介がされましたが、緊張していたせいかよく分かりませんでした(^^)




       さて、いよいよ各テーブルで揮毫が始まります。

        私のテーブルは、祁小春先生と2人です。




つづく

佐藤ノミ製作所

      佐藤 亘










2008年07月14日



* 写真は、前田秀雄先生からいただいた蘭亭の資料の一部です。

この資料を読んでいたおかげで、なんとか「ふ〜ん、こうなっているんだ〜」と思いながら歩いていました(^^)”

実のところ、今でもどこを歩いて移動していたのか、よく分かりません。前田先生の資料で、たぶんこのコースかな…と考える程度です。


前田先生と初めて会ったのは1991年の4月、奈良の今井凌雪先生について訪中した、上海の復旦大学での短期書法留学(正式名称忘れました)でした。


前田先生は、中国人の先生方の講義を通訳されていました。


田舎者の私は、「へ〜、書道で中国に留学って出来るんだ〜」という新鮮な感覚と、「同い年なのにスゴイ男がいるもんだ」と思いました。


この時以来、不思議な縁がつづいています(^0^)


この秋に向けて、前田先生と合同で企画を進行中です。後日、正式にお知らせ致しますね。






       4月8日(火)午前8時45分ころ


    参加者全員で、「右軍祠」内部の「墨華亭」へ到着



テレビカメラや新聞記者にマイクを持ったリポーター、役員等関係者、そして私たちを含む主役42名がゾロゾロと「墨華亭」の自分の定位置というか指定席につきます。


    このころになると、心臓がbakubakuでした。


昔、少年マガジンかなんかで「ドリーム」という野球漫画をやっていて、主人公の「くり君」が常にガムをかんでいました。くり君は、「ガムをかむと、運動中の心拍数を落ち着かせる効果がある」というようなことを言っていたので、私もマネをしてガムをかんでいました。


      なんとなく効果があったのだろうと思います。



         さかんにクチャクチャしていました



           4月8日(火)午前9時



いよいよ「第二十四届中国蘭亭書法節」の開幕式が始まりました。




つづく


えいとしのみ

佐藤 亘


2008年07月10日

* 写真は、蘭亭の入り口前で、耿夫人(荒金さんの奥様)に写して頂きました。右から、林田暁径先生、荒金治さん、私です。

林田暁径先生と荒金治さんは、日本伝統的衣装ですが、私は新潟空港まで持ってきたのですが、そのまま車の中に忘れてしまい… 関係者の方々、忘れてしまって本当に申し訳ありませんでした(_ _)

それで、祁先生にお願いして中国人用の衣装をお借りしました。何でも王羲之が活躍したころの東晋時代を再現した衣装だそうです。


おかげで、日本人だとは思われなかったようです(^^)”




        4月8日(火) 未明


        激しい雷雨に目を開ける


     土砂降りと言った方が良いほどでした


昨晩、何時に帰ってきたか分かりませんが、モーニングコールはしていたようです。


    4月8日(火) 午前6時30分  起床

      テレビをつけながら、書法節の準備



テレビを見ていましたら、雷雨のニュースをやっていました。いや〜ヤッパリ中国はスケールがでかい!

雹も降ったそうで、大きさがゴルフボールくらいでした。車の屋根を突き抜けたり、家畜が死んだり等の被害が出ていたようです。


            7時15分 

1階の食堂へ朝食、まだ緊張しているんですね、二日酔いがありませんでした(^^)


            8時 ロビーへ


       前回、写真で紹介した「2号車」に乗り込む


座ってすぐ、林田先生が今日使用予定の「印」を出されました。私もカバンを探ると… 無い … 


              し〜ん


             8時10分 


        慌てて部屋へ戻り、印を持ってくる



着物は忘れるは、印は忘れるはであきれられたでしょうね〜 m(_ _)m




           8時15分 ホテル出発


         どれくらいバスに乗りましたかね〜


        たぶん、20分くらいだったと思います。



          8時35分ころ  蘭亭へ到着


現地の小中学生が、風情有る曲径の両側で一心不乱で「蘭亭の叙」等を書いていました。けっこう上手で、私より上手いかもしれませんね(^0^)


つづく


佐藤のみ

 佐藤 亘







2008年07月08日


* 写真は、「第二十四届蘭亭書法節」移動用バスの車両案内です。




       4月7日(月)  9時頃かな…?



祁グループ10名で、乾杯(^0^)


  祁小春先生  王継安先生  劉暁瑜先生  任平先生

  林田暁径先生  赤松錦英女史  吉川珠扇女史

  荒金 治さん  耿暁丹夫人   佐藤 海山



日頃、物覚えの悪い私ですが、この時ばかりは瞬時に覚えちゃいましたね!


中高校生のとき、これぐらい物覚えが良ければね〜 (^^)”


しかし、中国の方のカラオケの『熱唱』というものは、「本当にスゴイ」…


荒金さんに「中国人のカラオケって、だいたいこんな風なの?」と聞くと、「私も初めてなので…」という返事。見るからに純朴で、書道を研究するのが大好き人間ですから、聞くだけ野暮でした。


中国の先生方のカラオケは、『熱唱』というよりも【咆哮】か、はたまた【哮吼】という感じですね(^0^)


別の言い方をすると、日本人は「カラオケの伴奏に合わせます」よね、「カラオケが私の歌に合わせろ!!」という感じかな。


全員が全員そうだとは思いませんが、一種のカルチャーショック状態でした。


で、結局何時にホテルに戻ったのか?


翌朝、よく起きれたものです。



     4月7日(月)と、思われる  時間不明



つづく


佐藤エイトシノミ製作所

佐藤 亘



2008年07月04日
* 写真は、林田暁径先生からいただいた、初級者用の漢詩実作参考書「漢詩パズル -四季- 」サブタイトルが「五分で作れる漢詩の本」です。前回ご紹介した、薄手の本よりかなりページ数が増えています。価格は、献身的な「2,000円」です。

何回か詩作された方には、応用範囲が広がり、良いと思います。(^0^)


      連絡は ↓


530-0027 大阪市北区堂山町17-11  暁書法学院

     TEL/FAX 06-6311-5636






いつの間にか時間が過ぎ、お偉いさんの「乾杯!乾杯!」の声も静まりかけた時、レセプションの閉会の辞がありました。


な〜んか、訳の分からね〜うちに終わっちゃったね(^0^)


        やっぱり緊張していたんですネッ



       4月7日(月)  8時半頃かな…?



祁グループ10名の精鋭(私を含めた、らしき者も入れてです)


たしか〜、王継安先生と祁小春先生が中心となって設定してくださって、カラオケに行くことになりました。この時、王継安先生が地元紹興出身の先生だと知りました。


私は、中国のカラオケは初めてでしたので、興味津々であちこちチラチラ偵察?観察?をしていました。日本でも、あまり飲みにいくことが無くなった私にとって、チョッと刺激的でした。


ホテルから、どれくらい歩いたんですかね〜 それでも、まだ緊張していたせいか、足にきていたわりには意識はハッキリしていました(^^)”


カラオケにつくまで、劉暁瑜先生と任平先生と少しお話をさせて頂きました。劉暁瑜先生は、東京学芸大の博士課程を卒業された方で、日本語がペラペラでした。劉暁瑜先生のおかげで任平先生とお話が出来たのですけどね(^^)”


劉暁瑜先生のお話ですと、任平先生は現代中国で今後最ものびていくであろう「100人に選出」されているそうです。林田先生より背が高いかな?ご自分から、積極的にお話しする方ではないですが、いつもニコニコされて「大人の風格」がおありです。


道中、荒金治さんと耿暁丹さんご夫妻ともお話をしました。当然、荒金さんは中国語がペラペラです。耿暁丹夫人は、日本語を学習中とのことでした。どうひいき目に見ても、耿さんの方が私の中国語力より上ですけどね(_ _)



ついた場所は、けっこう大きな店構えで綺麗なお姉さんが出迎えてくれました。


部屋に通されると、チョッとした映画館並の大きさで、迫力の大画面でした。けっこう圧倒される大きさです。



つづく

栄としのみ

   佐藤 亘


2008年07月01日
* 写真は、林田暁径先生からいただいた、入門者用の漢詩実作参考書「漢詩パズル - 梅 桜 送別 宴会 月 雨 - 」サブタイトルが「五分で作れる漢詩の本」です。価格は、良心的な「700円」です。


久しぶりに、ザッと拝見しましたが「初めて漢詩を作ってみよう」という方には、最適かもしれません(^0^)


      連絡は、下記へどうぞ


530-0027 大阪市北区堂山町17-11  暁書法学院

     TEL/FAX 06-6311-5636






         さて、レセプション会場テーブル探検



            4月7日(月)  7時頃


残りの日本人と思われる若い女性お二人に名刺をお渡ししますと、やはり日本の方でした。お話の感じからして、関西系の方かなと思いました。吉川珠扇さんと赤松錦英さんといわれ、大阪の方でした。


すると、スラッとした背の高い貫禄の有る男性がこちらに来られ、吉川珠扇さんと赤松錦英さんに気軽に話しかけられました。その男性は「先生」と呼ばれていましたので、すぐ「関係の方だな」と思いました。


早速、名刺をお渡しすると、いただいた名刺には「暁書法学院 院長 林田暁径」と書かれてありました。本当に、私のような新潟の山猿にも、気さくに声をかけて下さいました。


すると、そこに祁小春先生が来られて、それぞれにそれぞれを紹介して下さいました。


荒金治さんと林田暁径先生は、親子二代に渡って祁小春先生と交流がお有りとのことでした。つまり、私が一番新参者でした(^^)”


祁小春先生の紹介が終わった後、今度は中国側の祁グループのメンバーを紹介して下さいました。

紹介された順番は、緊張していて忘れました。いただいた名刺の順番でご紹介致します。

王継安先生、南京師範大学美術学院 書法系主任教授、南京博物院客座研究員等


劉暁瑜先生、北京聯合大学書画研究所 特聘専家、日本書画振興協会特別会員等


任平先生、文学博士、文化部中国芸術研究院教授、浙江大学教授等

 


という、現代中国を代表する方々でした。

これで、祁グループ日中10名が判明しました。



オッと、忘れた方もいらっしゃると思いますので、祁先生のことを再度ご紹介致しましょう。


祁小春先生は、日本に長期にわたり住んでいらっしゃいました。主に、関西地区の大学で教鞭をとっていらっしゃいました。京都の佛教大学で教鞭をとられた後、昨年九月より母国は、広州の広州美術学院の教授をされています。


私と祁小春先生は、佛教大学中国文学科の懇親会で数度お会いしただけでした。懇親会の時に、「祁小春の名前はずっと前から存じ上げていました。」とお話ししました。すると、「どうして」と聞かれますので「書法報に王羲之の記事を書いていらっしゃいますよね」と申し上げました。


すると、非常に喜んで下さり、意気投合して書道の話しをさせて頂いたのです。


それ以来、祁小春先生の持ち前の明るさと魅力に引かれています(^0^)



つづく

えいとしのみ

佐藤 亘


2008年06月27日
* 写真は、レセプションで初めてお会いした、荒金さんから頂戴した、荒金大琳先生と荒金治さん親子の労作、文物出版社刊『唐チョ遂良書雁塔聖教序』です。原拓本と実物写真を並べて比較検討された玉著です。(レセプション会場でいただきました)


現在、「雁塔聖教序」を学んでいる方、これからの人、そして以前習ったことのある方にも一読(一見)の価値があります。


2007年9月初版が発行されています。そろそろ、日本でも中国本輸入業者から、購入できるようになると思います。


とにかく、『臨書』する時に非常に重宝します。



荒金さん親子の労作、文物出版社刊『唐チョ遂良書雁塔聖教序』(2冊)お薦めです。




          4月7日(月)  6時5分 レセプション開始


              どれくらい話が続いたのでしょうか


中国側、日本国側、韓国側とそれぞれ代表者の紹介がつづき、やっと乾杯。


              私は、相当緊張していたのでしょう


メモを見ても、何も書いてありませんし、あまり想いだせません(^^)”



                     なさけねえ〜


やっと乾杯が終わったので、取り敢えずこのテーブルの「探検」に出発することにしました(^0^)


9人テーブルで、私を除く8人のうち右隣の荒金さんご夫妻は、制覇!?


              次は、左の方です。


チョッとラフな格好ですが、何とも場慣れしている様子。そして、黒い使い込んだバッグが、大事そうに椅子の脇に置いてあります。

名刺を渡し自己紹介をすると、バックから愛用のカメラ(ニコン)を持出して、「今、名刺がありませんが、○○の記者で○○といいます。」と言われました。な〜ルホド、場慣れしている訳だ。


○○記者は、(名前、忘れました!)お酒が全くダメだそうで、子供用のファンタグレープのような物を飲んでいました。私が、「チョッと綺麗なお酒ですね」というと、「試してみますか?」といわれましたので、「いいですか」といって一口飲ませていただきました。「ン〜、甘い」というと、○○記者は笑って「子供用の飲物ですよ」と教えてくれました。

その左隣は、紹興市文物管理局、浙江省會稽山旅游度假区管理委員会、紹興市文化旅游集団有限公司の邵銘さんというまじめそうな方。

その左隣が、すでに何回か名前が出ている日本側代表団担当通訳の朱秀芳さん。

そして、荒金さんの右隣が、このテーブル最後の中国人の方が、紹興市人民政府外事與僑務辧公室副主任、紹興市人民対外友好協会副会長の張小華さんです。このかたも一見して実直そうな方だと思いました。


このテーブルの中国人の方は女性が2人、男性が3人です。


いや〜、名前で男性か女性かは判断できませんね〜(^^)”



つづく



佐藤エイトシノミ製作所

          佐藤 亘





2008年06月24日

* 写真は、「レセプション」で使用された箸入れ袋。


といっても、特段レセプション会場だけで使われている訳でもなく、常時、紹興王朝飯店で用いられている物です(^^)”




            4月7日(月)  5時59分  



          入り口にいた、係の人に席を聞いて座る。


あせりで緊張していたせいか、何がなんだか分からんうちに自分の座席に座った。



実は、今回の日本代表団「祁グループ」のメンバーとは、佛教大学で数回いっしょに飲んだ「祁小春」先生しか顏が分からない…(_ _)



       そして、「祁グループ」が何名なのかも分からない!?


こんな訳なので、日本でもおなじみの丸テーブルに座って一座を見渡すと、私を入れて9名。紹興の方々は日本人と似ているので、ひょっとするとこのテーブル全員「祁グループ」か?



                まさかな〜


     と思いながら、一座を見回すと半分ほどが日本人のようだ。



              時計を見ると 6時2分


まだ、開始まで時間がありそうなので右隣のニコニコした女性に名刺を渡しながら、下手な中国語で自己紹介をすると、中国人だと分かった。


その右隣が、荒金治さん。何のことは無い、最初の中国人女性は荒金さんの奥様だそうな。


荒金さんは、北京師範大学書法文字学(研究方向)に留学中で、三十代の新進気鋭の博士研究生です。奥様はクオさんと言われ、北京留学中に知り合われ結婚されて半年ほどということでした(^0^)


荒金さんとは、「お互いに先生呼ばわりはやめましょう」と固い約束をしましたので「荒金さん」と書かせてもらっています。芸術新聞社の『墨』でもお名前を拝見しますし、私何ぞが対等に話せる立場ではないのはよく分かるのですが、かなり私の方が年上ですので荒金さんも大目に見てくれているのでしょうね(^「^)



            と、ここで開会の挨拶が始まりました。




つづく


のみ鍛冶 佐藤



2008年06月22日
 

*  写真は、蘭亭書法節の受付で配布された4月8日(火)夕食の「自助餐券」(バイキング券)です。


紹興王朝大酒店の2階王朝廳で食べれるはずだったのですが、祁グループで唯一の「新婚さん」の荒金ご夫妻には、気を使ってご遠慮申し上げて残りのメンバーで夕食に行きました。(^0^)




           4月7日(月)  4時15分 紹興駅着



レンタル自転車屋さんで清算をしてもらうと、「5時間で、7,5元」(約160円)すげえ〜、良心的だな〜と感服しました。


店のお兄ちゃんが「楽しかった?」と聞いてきたので、「スッゲー楽しかったよ!」というと、お兄ちゃんもニコニコ笑って、使用時間を確認して「7,5元」と言ってくれました。私が「ヤージンの預かり証と7,5元」を渡すと、200元を返してくれました。


心良い疲れと、今晩のレセプションが気にかかり始め、急ぎ7番のバスへ乗り込みました。


ホテル前のバス停で降りて、すぐ脇のコンビニで「パンとコーヒー」を4、5元で買いました。(約70円)



ホテルの前に立つと「熱烈歓迎 第二十四届蘭亭書法節外国賓客」の横断幕が張られていました。ざわついているロビーをコソコソとエレベーターの方へ歩いていくと、担当の朱さんが「時間の確認をお願いします」と、一声掛けてくれた。


「はい、承知致しました」と返事して、急ぎ部屋に戻り風呂の準備をすると、


             すでに、午後5時40分!


朝、いただいた資料を確認すると「レセプションは、6時開始」となっている。



               ヤベ〜〜〜〜〜!!!!



直ぐにシャワーに切り替えて、身支度を整えながらパンと缶コーヒーを飲み、汗ダクダクで2階のレセプション会場へ急行(^^)”



               ついたら、午後5時58分!!



 
                 ギリギリ  セーフ(_ _)




つづく


佐藤栄登志ノミ製作所

五代 佐藤 亘



2008年06月19日
*  写真は、蘭亭書法節受付で渡された資料中にあった、4月4日付け「紹興晩報」です。


紹興市では、第二十四届蘭亭節の盛り上げを熱心にやられていたようです。市内の主要な公園などに赤地に白抜きの文字で、「熱烈歓迎 第二十四届蘭亭書法節外賓」などの横断幕がいくつも張られていました。


しかし、一般市民の反応は24回目ということもあり、関係者以外はあんまり… という感じに見受けられました。




          4月7日(月) 3時45分 「八字橋」着



少し大きめのクリークに架かる石製のアーチ型の橋です。近所のお年寄りの方々が、橋のたもとの「全国重点文物保護単位 八字橋」と書かれた石碑の横で、夕暮れのひとときをゆっくりと楽しんでいます。


その辺りを、切符売り場は無いかと探すが、ありません。「きっと、ただだろう」と一人で納得して橋を渡る。


時代感が漂い、なかなか良い感じです。二組の新婚さんがカメラマンにポーズを付けてもらって、記念写真を撮影していました。


その横を、遠慮気味にコソコソと腰を屈めて通り抜ける自分が何とも滑稽に思えました。


なんか、新旧の人間が入り交じった不思議で、なんとも懐かしい感じの光景でした。


 
          4月7日(月) 4時 「八字橋」発



              4時15分 紹興駅着


つづく



印刀・のみ制作 
        佐藤栄登志のみ製作所


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